響け!ユーフォニアム3

黄前久美子は大人なのか、子どもなのか?「響け!ユーフォニアム3」第3話感想

この3話では、さまざまな価値観の対比が次から次へと起きていることがポイントです。またそれを論じる上で、どちらが正しいというものではないことは念頭に置くべきでしょう。ということで、Aパートからちょっとずつ話をたどっていきましょう。

交換ノートに書かれた、久美子が守りたいこと

高坂麗奈の厳しい練習をバックに、3人の幹部のやり取りが繰り広げられる交換ノート。ここでポイントとなるのはもちろん、「落伍者を出したくない」という黄前久美子の言葉です。

落伍者を出したくないというのも、この2年、いや3年の間に北宇治高校吹奏楽部で起きたことを知っているから。そこから立て直してきた年月を、身をもって知っているから。ゆえに彼女からは「全員そろって北宇治」という言葉が出てきます。

で、久美子が今回相対する課題が、1年生の集団退部疑惑なわけですね。厳しい麗奈の指導は、経験者には好かれ、尊敬されている一方で、初心者がついていけていない。これは、初心者の1年生とどのように向かい合うのかと同時に、久美子が自分の主義を守るためにどうするのか、という戦いでもあります。

どうなれば「大人」と言えるのか

ここでひとつ、価値観の対比として描かれるのが「大人か子どもか」です。進路希望調査という社会への小さな入口がチラつく中で繰り広げられたのは、滝昇先生とのやり取り。大人になることは想像がつかないという久美子に対し、滝先生はどうなのかというと、「今の自分はどちらかというと、子どもの延長線上な気がします」といいます。

二度三度とカットに入るミルクコーヒーは、まるで大人と子どものミックスのよう。

何をもって自分を子どもだと言っているのか、どのような状態になれば大人と言えるのか、滝先生がどう考えているかはわかりません。ただ、18歳以上は大人という定量的な基準はともかく、定性的な基準があるようには話していないんですよね。あとに続く、「自分が大人か子どもかというのは、周りの環境で決まるのだと思います」という言葉。これって、自分が大人になるか子どもになるかは、その時に身を置いている場所において、相対的に決まると言っているんじゃないでしょうか。

例えば、27歳の人が一般的な企業にいればまだまだ若いと思われるでしょうけれど、大学生の中にいるとしたら、大学生からはとても大人に見えますよね。だから、その人が大人なのか子どもなのかは、絶対的に言えることではないのです。

「割り切れる大人」として描かれる黒江真由

さて、突如やってきたと言うべきか、来るべくして来たというべきか、1年生4人が一気に部活を休むという事態が発生しました。大騒ぎする鈴木さつきを見ても、部内や上級生たちも危うい空気を感じていたのかもしれませんね。

具合が悪くなったという義井沙里の家に、久美子部長自ら行くことに。久美子が行くのは大げさに思われるかもしれませんが、ここまでの2話半で、久美子が1年生から直接なんらかの訴えを受けることが何度あったことか。3話のAパートでも「下手なのに残らないのはおかしい」と言われたばかりです。

ただでさえ、責任感が強く、落伍者を出したくないという強い思いがある久美子なら、「辞めかねない」4人が集まっている沙里の家に自ら行くのは自然でしょう。何より、ここを他人に任せられるほど割り切れる大人じゃない。かといって、教育係の2人をないがしろにしているとも思いません。もしそうなら1人で行くでしょうから。

さて、そんな大慌てな久美子たちに問いを投げかけるのが真由でした。

「そんなに大げさにすることかな? 部活辞めるって、普通にあることでしょ?」
「辞めたい子は辞めて、部活から解放されるし、残った子は、その子を気にせず演奏に集中できるようになる。むしろ、良いことなんじゃない?」
「たかが部活なんだし、無理してしがみつくことじゃないと思うし」

好き

これは多分、大人の意見です。部活以外にも自己を成立させる場所や方法があって、そこに移ればいいじゃないかという割り切り。自分の実力に見合う場所に行くというのは、強豪校なら当たり前のことかもしれないですね。つまり、北宇治と清良女子では文化が違う。清良から来た真由は、こういった割り切りができる。割り切りができることを「大人」と呼ぶならば、ここ北宇治において真由は相対的に「大人」です。

彼女が未だに北宇治の制服を着ていないのは、まだ届いていないなどの事情はあるでしょうけれど、何よりも「北宇治において異質な存在」であることの表現にも見えます。乳の問題(?)でサンフェスのユニフォームがパツパツなのも、「ママ」と呼ばれていたというエピソードも、彼女が相対的に「大人」の生徒であることを表現した要素なんじゃないかとすら思えます。

好き

余談ながら、「辞めたいって言われたら俺は止められん」と書いた塚本秀一も、ちょっと考え方が真由に近い方ではないでしょうか。二人の絡みが出てきたら面白そうです。

沙里が受け止めてきた、重たすぎる思い

さて、今回久美子が向き合うのは、クラリネットのホープ・1年生の沙里です。

改めて見てみると、沙里って、一緒に悩める人だと思うんですよね。コンクールメンバーと同じように指導され、泣くこともままある初心者に対して、彼女は親身になって支えてきましたた。練習中に竹川さんが泣いてしまった時も、寄り添っていたのは沙里でしたね(竹川さんのフルネーム、エンドロールにもないのはなぜだ……)。

辞めないでと止めてきて、「がんばって結果を出せば楽しくなる」と、沙里は励ましてきました。でも、涙を流すことばかりの初心者子を見て、「私、悪いことをしたのかなって」。

沙里に起きていることは、厳しさを増す練習の中で、つらい思いと上手くなりたいという願いの間を揺れ動く、初心者のとてつもなく重たい思いを、同じ1年生が受け止めているという状態です。

果たして本当にそこまで重いのか? 重いと思います。だって、高校に入学したばかり、夢や憧れを持って北宇治の吹奏楽部の門を叩いたばかりなのに、厳しい練習に挫けそうになる。でも、入ったばかりで辞めるなんて割り切りもできない。夢や憧れはまだ持っている。ここで上手くなりたい。でも要求されるレベルが高い。本当に自分はできるのだろうか……15歳、16歳がこの引き裂かれそうになるジレンマを抱えるには重いと思います。そして、それを受け止める同級生は、真面目であればあるほどこの重みを同じように抱えてしまうんじゃないでしょうか。その上で、続けてほしいと励ましてしまった以上、自分はこのジレンマを抱え続けろと言っているんじゃないか、とも考えてしまう。

要は、涙する初心者の悩みも、その子を励まし続けてしまった自分の後悔も、まとめてその身に抱えているのが、今の沙里なのです。

黄前久美子が「大人」になった部屋

正直、吹奏楽部に起きている問題はいわゆる大人であろうと、全員がハッピーになる最適解を導き出すのは難しいと思います。社会人ならともかく、問題が起きているのはたった3年というタイムリミットが設けられた高校という場所ですからね。

でも、何を最も大事にするかを決めることはできる。久美子が大事にするのは、部員それぞれの「上手くなりたい」という気持ちです。

「たかが部活でって言う人もいるかもしれないけど」とこっそり真由に反論しつつ、久美子は高校生活の大半を部活に費やすことになる以上、後悔したくないし、してほしくないと思っている。「上手くなりたい」「上手くなれた」と思い続けられることが、久美子部長の一番大事なものなんじゃないでしょうか。

久美子のモノローグ裏で麗奈は「今までで一番まとまっていたと思います。注意していたところもとても良くなりました」と言っている。その言葉を受けて、やったぜ的な表情をする竹川さん。この姿こそが、「やってよかったって思ってほしい」という久美子の理想です。初心者であろうと全国金賞を目指すと決めた思いは嘘じゃない。全国金賞を目指して上手くなりたいという気持ちは、初心者も経験者も同じなんですよね。

90人にまで膨らみ、さまざまな価値観が入り交じる北宇治吹奏楽部において、1人の人間が1つの正解を導き出すのは困難です。でも、「そうなんだよね」から始まるこの久美子の言葉は、自分で自分が言うことに発見と納得を覚えているように聞こえます。

「そうなんだよね、部長ってたぶん、そんなみんなのいろんな気持ち、まとめるためにいるんじゃないかって思う」

ここで久美子は、自分なりの部長像を見つけたのではないでしょうか。すなわち、「全部、私のところに持ってきて」。別にルートは教育係を通そうが、直接言われようが、何でもいいと思います。何が正解かわからない中で、みんなのいろんな気持ちを受け止める存在になる。これが、久美子なりの「北宇治高校吹奏楽部・部長」の姿です。

これって、ここまでの2話と半分で、1年生からガンガン意見をエスカレーションされてきた状況とほとんど変わっていません。でも、久美子にとってはこの「ご意見箱」になる覚悟を自分で決めたことが大きい。今までは受け身がちで、エスカレーションを食らったあとはいつもため息だったけれど、きっとこれからは違う。

そもそも、「ちゃんと話せば何とかなるんじゃないかって私は思ってる」というのは、この2年間、久美子がずっと繰り返してきたことなんですよね。何らかの出来事やトラブルについ首を突っ込んで、当事者の思いを受け止めて、久美子なりの気持ちを投げ返す。なんだかわからないけれど、この人になら打ち明けられる……という存在になる。これが彼女のあり方だし、これでいいんだと思います。だって、翌日の沙里の顔はとても晴れやかだったから。

そう、同学年の重い悩みを一身に受けてきた沙里にとって、久美子の言葉は救いだったはずです。この二人、誰かと一緒に悩むことができるという点で、同じタイプなんですよ。悩める後輩に寄り添って、「○○しなさい」ではなく、面と向き合いながら「どうしよっかね」と一緒に考える。心配してわざわざ後輩の家まで来て、二人の空間を作りながらそっと思いを引き出す。そんな久美子が、沙里からはとても「大人」に見えたのではないでしょうか。

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