ラブライブ!サンシャイン!!

思いは受け継ぐべきものなのか―映画「ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」感想

最近「ルーツを知る快感」という概念を知りました。個人的にはあまり感じない快感なのですが(でもFGOの元ネタになった人物たちのWikipediaは確かにおもしろい)、父がそれに当てはまるようで、我が家の先祖が眠るという場所に、僕やいとこを連れていきたいとよく言っています。

「世代の流れ」というものは、「時の流れ」とは違うものです。ただ時間が経つわけじゃない、人の思いや築き上げてきたものを内包した流れです。統廃合になった学校と、統合先である現存する学校。お見合いをさせたい母と、やりたいことをやる娘。ラブライブで敗退した姉と、その原因となってしまった妹。

色々ありますよね。先代の意志を継ぎたいと思うものもいれば、絶対に嫌だと拒否するものもいる。過去となってしまった浦ノ星女学院は統合先の学校に拒絶されてしまい、小原家の娘は母の言いなりになることを拒みました。この衝突を解決するために、Aqoursは動き出します。

カギとなった小原鞠莉と彼女が貫いたもの

動いているのは現メンバーである1,2年生ですが、カギになっているのは3年生です。卒業した小原鞠莉は、次なる道へ進もうとしている。一方、3年生のいなくなったAqoursは、その存在の大きさを改めて実感。これらは同じ「3年生の卒業」という事象ですが、卒業生と1,2年生のベクトルが真逆であることに気づくでしょう。

だからこそ、鞠莉はイタリアで行ったライブで「自分のやりたいことを貫く」強さを表現しています。そこには、“過去の人”の思惑は入らない。自分がこれと思うもの、こうなりたいと思うことを懸命にやり、周囲を納得させてみせました。

「3年生」って不思議なポジションにいる存在です。「卒業」が不思議とも言えるかな。卒業するから“過去の人”になるんですけど、卒業は未来への一歩でもある。3年生である彼女が「自分のやりたいことを貫く」表現をするからこそ、それは決意表明と同時に、自分よりもっと未来のある者たちへのメッセージにもなったように思います。

ここで大事なのは「パパやママが育ててくれたように」という鞠莉のセリフ。そう、親の思惑通りに動かないとしても、親の思いは彼女の中にきちんと残っているんですよね。今、鞠莉がいるのは0ではなく、1からその先なんです。

1以上の力をもった黒澤ルビィ

過去と同じである必要はありません。同じでなくても、思いは残っている。ずいぶんと前に、それを経験しているのが黒澤ルビィです。

仲良く姉妹でμ’sを応援していた黒澤ダイヤとルビィですが、ご存知の通り、一度ダイヤは変わってしまいました。その姉に対し、ルビィは動かないことで、スクールアイドルに触れないことで姉妹の関係を維持してきた。でもそこから一歩踏み出して、過去と異なる今を選んだことで、二人の未来が拓けた。

ルビィはダイヤの中に、スクールアイドルが好きという思いがずっと残っていることを信じていました。だから、今回も自ら変わろうと思える。異国の地であろうと、自分の力でライブ会場を探そうと、一歩踏み出せる。

同じような経験が、彼女にはあります。あの日、函館を舞台に1年生4人で作り上げたライブ。隠れた力を目覚めさせたルビィたち。「でもさ、自分たちで全部やらなきゃ」「ルビィは強い子でしょ。なら、勇気をお出しなさい」という言葉は忘れがたいものです。ただ、あの時は自立を証明するための“0→1”ライブでしたが、今回は違います。自分と姉が大好きなスクールアイドルのすばらしさを伝えるために、ルビィは1以上になった力を使っている。この小さな女の子の力はいつも、閉ざされた世界を解き放ち、その輝きを広げるために使われるのです。

Saint Snowの“本当の卒業”

さて、同じ姉妹でも鹿角家のほうはどうでしょうか。前述の函館ライブで一度はラブライブ敗退を乗り越えた鹿角理亞ですが、思いを同じくしてスクールアイドルを一緒にやってくれる友達がなかなか見つかりません。力の入れようが違いすぎて、理亞から離れてしまうのです。

彼女が追いかけていたのは“失敗しなかったSaint Snow”。失敗しないくらいの実力を身につけた自分。そうして、自分のミスで失った姉の人生の一部を、自分の人生を使って取り戻そうとしています(μ’s加入前の絢瀬絵里にちょっと似ていますね)。

でも彼女が追い続けているのは、幻影でしかないんです。姉の幻影であり、自分の幻影でもある。幻のSaint Snowだけ見ていて、新たに加入してくれた子たちを見ていないから、離れていく。

今の理亞は、見てほしかった。自分が独り立ちできる姿、思いを受け継いで立派に立てる姿を見てほしかったのです。でも、理亞の心の奥底には、もっと大きな思いがあったはず。多分、自分でも勘違いしていたんじゃないかと思うのですが、理亞はもう一度、聖良とライブがしたかったんじゃないでしょうか。

最後のラブライブを終えた者と、もう一度ラブライブで歌うのは現実的に無理な話です。だからこそ、理亞は聖良の思いを継ごうとし、もう一度あの舞台に立つことで、Saint Snowのあるべき姿を取り戻そうともがく。

そんな彼女の思いを別の形で昇華させたのがAqoursです。2組だけのラブライブを行い、事実上の決勝戦を繰り広げる。それって、チャンピオンにしかできないことですよね。AqoursはAqoursにしかできないことで、過去からの呪縛を断ち切りました。そして彼女たちは、「卒業」を経たとしても、積み上げてきたものは0にならないことを知るのです。

虹の向こうに

「継ぐ」ということは、「縛る」ことでもあります。それを、先達はわかっていたのかもしれません。初代チャンピオンが唯一残したのは、「スクールアイドルはすばらしい」ということ。それ以外は、何も残さなかった。

逆に言えば、「スクールアイドルはすばらしい」ことをμ’sは残していたわけです。これが「0」になった。これがなければ、0すらない本当の虚無だったかもしれない。この「0」から紆余曲折を経て「1」を積み上げたAqoursが、Saint Snowが、廃校と敗退を乗り越えてさらにその先へゆく物語。「虹の向こうへ」と銘打たれた、この映画の物語なのです。

そこから先は、自由です。卒業していく3年生は、「こうしなさい」とは言いませんでした。好きにしていい、それが一番輝けることを知っている。だって身近に、そうして“シャイニー”している人がいるのですから。

 

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