何かを諦めないということは、他の可能性を捨て去ることでもあります。幾多の可能性を追い求めるということは、何かを中途半端に終わらせてしまう場合があります。どちらが正しい、というものでもありません。人それぞれの生き方なのです。
自分と生き方が違う人は大勢います。むしろ、まったく同じ人なんて一人もいません。生き方が違っても、価値観が異なっていても、一緒にいたいと思う。9話は、そんな3人の物語でした。
小原鞠莉にとっての松浦果南
浦ノ星女学院に戻ってきて、スクールアイドル活動を活性化させようとする小原鞠莉と、彼女の誘いを頑なに断り続ける松浦果南。そして果南の肩を持つ黒澤ダイヤ。3年生3人のこの構図は、ここまでずっと変わらずに描かれてきました。
この3人には、スクールアイドル活動をしていた過去と、東京のスクールアイドルイベントで歌えなかった過去があります。歌えなかったことを理由に、果南はスクールアイドルをやめると宣言。ダイヤもそれに同調し、スクールアイドルを続けたかった鞠莉は留学することに。鞠莉からすると、果南が東京での失敗から立ち直れずにスクールアイドルをやめてしまったと見えます。
鞠莉から見た果南という子は、「どんな失敗をしても、笑顔で次に向かって走りだしていた。成功するまで諦めなかった」人。それは小さいころから変わらないようで、高いところから水場に飛び込めない幼少の高海千歌に対して「ここでやめたら後悔するよ」と励ます姿も描かれていました。それを考えると、「中途半端が嫌いなんですよ。やる時はちゃんとやらないと、気が済まないっていう」千歌と、前に前にゴリゴリ進む鞠莉の性格を形作ったのは、もしかすると果南なのかもしれません。
いずれにせよ、鞠莉は「成功するまで諦めなかった」果南のことをリスペクトしていたはず。だから、今の果南は本当の果南ではない、本当の姿を取り戻さなきゃと躍起になります。「私は諦めないの。今でも終わったとは思っていない」「私は諦めない。必ず取り戻すの、あの時を」と、二度三度と鞠莉が「諦めない」と口にしているのも、果南のようになりたいとどこかで思っていたからではないでしょうか。
早朝の山道を登ってまで果南に会いに来た鞠莉に対し、もう何度目かわからない彼女の勧誘を「どうして戻ってきたの? 私は、戻ってきてほしくなかった」「もう、あなたの顔、見たくないの」と冷たい言葉で突き放す果南。その顔は、とても悲しそうでした。
今か、未来か
東京のイベントで失敗したから果南はスクールアイドルをやめたと思い続け、それをはっきりした言葉で訴え続ける鞠莉と、明確な理由を言わないままの果南が復学初日に激突。頑なに真意を話さない果南とは対照的に、根負けしたダイヤが事の真相を明らかにします。東京で歌えなかったのではなく、歌わなかったと。
「歌えなかった」と「歌わなかった」では、大きく違います。ただ、「歌えなかった」がすべて嘘だったとは思えません。東京に行って「他のグループのパフォーマンスのすごさと、巨大な会場の空気」に圧倒されたのは確かでしょう。
と同時にそのレベルの高さから、“外”にはこれだけの可能性もあるということを果南は知ったのではないでしょうか。鞠莉の元には、“外”からたくさんの可能性が舞い込んできていて、彼女にはそれを結実させる力がある。果南は鞠莉の可能性を、自分が半ば無理やり誘ったスクールアイドル活動で潰したくなかったのです。
「私、スクールアイドル始めたんです。学校を救うために」。同級生に誘われて、学校を救うために。偶然耳にした鞠莉の言葉には、鞠莉自身がやりたいことが含まれていませんでした。ましてや、大きなホテルを経営する家の娘。この内浦で一番“外”=可能性とのつながりがある人です。
ここに果南の思考が表れています。少々メタ的な話になりますが、千歌たちAqoursがファーストライブを終えて“所信表明”を行った際、「ただ見ているだけじゃ始まらないって。上手く言えないけど、今しかない瞬間だから」と話しています。ここで、笑顔でステージを見つめる鞠莉とは対照的に、「今しかない」と口にした瞬間、果南はその場を立ち去っている。つまり、彼女の価値観は「今しかない」ではなく、「未来がある」なんです。だから、いくつもの可能性を振り払って「果南、ダイヤと3人でスクールアイドルをやる」今に人生を一点集中した鞠莉とすれ違ってしまう。取っ組み合いをしている時に漏らした「鞠莉には他にもやるべきことがたくさんあるでしょ」が、彼女の本音です。
では、あれから2年経った今でもスクールアイドルをやめた真意を明かさない理由は何なのか。それは、鞠莉のためを思ってやめたと知れば、今度は鞠莉がそのことを引きずってしまうと考えたからです。月日が経てば経つほど、そのやり切れなさは大きくなってしまう。だから、果南は「頑固オヤジ」になって話そうとしなかったのではないでしょうか。
「果南さんはずっとあなたのことを見てきたのですよ。あなたの立場も、あなたの気持ちも、そしてあなたの将来も、誰よりも考えている」。それはもはや愛。大きすぎるほどの愛です。ただひとつ、言葉だけが足りなかった。
中庸の人、黒澤ダイヤ
もう一方の当事者である鞠莉の話をする前に、ダイヤのパーソナリティを紐解いてみましょう。この件に関しては果南の考えを尊重しながら、自らはあまり手を出さずにいるダイヤ。厳格なイメージから一転、ここ最近は妹や後輩たちを優しく受け止める姿も見せ、“中庸の人”という印象に変わってきました。
この一件の始まりは2年前です。つまり、ダイヤと果南の意志の統一は2年前に行われました。それから2年後の現在、学校は再び統廃合の危機に立たされ、帰国した鞠莉から協力を求める手が文字通り差し伸べられます。しかし、ダイヤは「私は私のやり方で廃校を阻止しますわ」と、その手を握りませんでした。
2年前の“約束”を、再度の統廃合の危機という直面に立っても守り続ける義理堅さが見て取れます。鞠莉からすれば、東京で失敗してショックを受けた果南を守っているようにみえるのですから「ホント、ダイヤは好きなのね。果南が」となるわけですが、意味は違えどその通り。果南のことを、そして鞠莉のことも好きでなければ、ここまで義理堅くはなれないでしょう。
ダイヤが大事にしているのは、自分の考えで道を選ぶことです。μ’sに影響されてなんとなくスクールアイドルを始めたのだろうと思った千歌に対しては厳しい態度を取りますし、姉の自分についていくのではなく自分で道を決めた妹・黒澤ルビィに対しては「だったら、誰がどう思おうが関係ありません」と背中を押す。そして果南も鞠莉も、自分で選んだ生き方を貫こうとしている。だから2人が好きなのです。
もっとも、ダイヤはスクールアイドルだって、ルビィが自分以上だと言うほど大好き。そんな彼女からすれば、大舞台で歌えずに帰ってきたことは悔しくて悔しくて仕方がなかったでしょう。「片付けて。それ、見たくない」という妹への辛辣な言葉には、苛立ちとともに悔しさも見て取れます。それでもなお彼女は、大切な友人の可能性を守ろうとしていたのです。
ただひたすらに前へ
「私、スクールアイドル始めたんです。学校を救うために」。職員室での鞠莉の言葉に、果南は「自分たちのせいで、鞠莉さんから未来のいろんな可能性が奪われてしまう」と考えたわけですが、むしろそのスクールアイドルこそが鞠莉のやりたいことでした。
渡辺曜は千歌とともにスクールアイドルを始めた理由を、小さいころから一緒に何かに夢中になりたかったと話していましたが、小学生の頃から果南やダイヤと一緒だった鞠莉も、親愛なる友人と何かに夢中になり、作り上げ、やり遂げることが楽しかったのではないでしょうか。初めて自分たちだけの力で純粋に何かをやり遂げられるのも、ちょうどこの年齢くらい。一番楽しい時期ですよね。
鞠莉は自分の弱さを見せようとしない子です。東京でのステージでも、「全ッ然(平気)」と足のケガを押してパフォーマンスをしようとしていました。弱みを見せないどころか、見せるのを嫌うとすら言えます。だから自分も、そして他人までも壁に当たろう、当てようとする。
「変わっていませんわね、あの頃と」とダイヤが言うこの性格は、一種のエゴでもあります。強烈な推進力を持つと同時に、周りにフォローしてくれる人、受け入れてくれる人、ついてきてくれる人がいないと成り立たない生き方です。その生き方に、果南がちゃんとついてきてくれていたことに、鞠莉はダイヤの言葉で初めて気付かされます。
「離ればなれになってもさ、私は鞠莉のこと、忘れないから」。行動の具体的な理由や細かな感情は、果南は表現しないのかもしれません。でも、代わりにその大きな愛を与えてくれていた。大雨の中で鞠莉は、それだけの愛を果南が自分の与えてくれていたのに気づけなかったことに涙します。
だからといって、鞠莉が自分勝手で冷たい人間というわけではありません。彼女もまた、果南のことを大切に思っていたのです。ちょっと過激な言動で果南を励ましたり炊きつかせたり、「逃げている」と勘違いしながら、前を向かせようと何度も何度も“頑固オヤジ”にアプローチしていたのは、他ならぬ鞠莉です。
たった一度の失敗で、自分が、そして果南も過ごしたはずの宝物のような時間を、鞠莉はないものにしたくなかった。「果南が歌えなかったんだよ。放っておけるはずない」。
なぜ鞠莉は果南をひっぱたいたのか
果南が鞠莉を愛していたように、鞠莉もまた果南を愛し、失意であろう彼女を励まそうとしていたのは前述のとおりです。しかし一度の失敗でスクールアイドルが解散となり、自分が留学に行って離ればなれになったことで、鞠莉が果南への愛を表現する機会が失われてしまった。果南は、鞠莉の愛に気づけなかったのです。だから、鞠莉は怒る。
同時に、自分も果南の愛に気づけなかった。果南への愛をうまく表現できなかった。だから、果南の頬をひっぱたいたあと、自分の頬も差し出します。
極限まで友達を愛するあまりに取れる行動が限られ、貝になるしかなくなった子。前を向いて突き進むばかりに、友達を励ますために「リベンジ」「負けられない」という言葉しか口にできなかった子。大きな愛にあふれ、とても不器用な子たちです。そんな2人が思いをぶつけ合う。言葉が足りないから、うまく伝えられないから、身体でぶつかる。まるで小さな男の子のように不器用な2人なりの、本心の伝え方です。
でもそんな不器用な人間に、もうひとつ身体を使って心を伝える方法がありました。それは、抱き締めること。初めて会った時のようにハグする2人は、本心を伝えたことで、もう一度「初めての出会い」をしたのです。
3人のやさしさ
こうして3人の考えやパーソナリティを見ていくと、3人とも大きなやさしさを持っていることが伺えます。三者三様のやさしさです。
鞠莉のやさしさは、不器用だけど力強い、前を向かせようとするやさしさ。果南のやさしさは、自分のやりたいことを押しのけてでも大切な人の未来と可能性を大事にできるやさしさ。ダイヤのやさしさは、厳しい言葉をかけたり柔らかく抱き締めたりしながら、意志をもって行動する人を放っておかない、見守り続けるやさしさです。
このやさしさから来るメンタリティの高さも、3人の大きなパーソナリティ。鞠莉はどれだけ拒否されても友達を立ち直らせるためにアプローチを続ける、まさに「諦めない」強いメンタリティを持っています。ダイヤは前述のとおり。そして果南に至っては、その人のためを思って取った行動が当の本人から「逃げている」と受け取られながら、なおその人のことを思い、絶対に本心を明かしませんでした。
諦めたように見えて、自分のやりたいことをやり抜いていた松浦果南。逃げていると言われても本心は明かさず、もしかしたらスクールアイドルよりも大切な「自分にとってかけがえのない友達を大事にすること」を、今の今まで貫き通してきました。松浦果南は、松浦果南だったのです。
初めて書き込みさせていただきます。
これまでも何度かこちらのラブライブ!関連の考察記事等を拝見していたんですが、
ばかいぬさんの記事は自分が感じることはできても上手く言葉にできず表現できない部分まで
わかりやすくかつ的確に書き記してあって本当に参考になってます。
ちなみにμ’s、Aqoursともに3年生推しです。
さてサンシャインでは序盤から小出しにされる3年生たちの過去描写にワクワクし、
早く担当回来ないかなと思いながら9話を迎えたわけですが結果とても素晴らしい回でした。
他人にどう思われようと鞠莉のためという自分の決意を貫こうとする果南。
果南と鞠莉の間で中立を保ちながら二人が再び繋がることを信じて見守るダイヤ。
果南ダイヤと一緒にいた時間を取り戻したいと何度突き放されても諦めない鞠莉。
三者三様の望み、お互いを想うが故のすれ違い、気持ちのぶつかり合いから和解と盛りだくさんで、
何より三人の絆の強さを感じて彼女たちのことがより愛おしくなりました。
あとできるなら別媒体でも構わないので彼女たちが幼少期に出会ってから仲良くなるまでや、
さらに浦の星に入学しスクールアイドルをやっていた頃の物語も見てみたいななんて思ったり(笑)。
紆余曲折を経てAqoursに加わった(戻ってきた?)3年生組ですが、
これからもそんな彼女たちをそっと見守っていきたいです。
ちょっと時期がずれてしまいましたが長文駄文失礼しました。
これからも考察記事楽しみにしてます。
>名無しさん
はじめまして! 幾度とお読みいただいていること、
またコメントを寄せてくださったこと、ありがたく思います。
名無しさんの思考や気持ちを引き出せる文章になっていたらうれしいです!
3年生のエピソードは、これまで8本かけてじわじわと溜めてきたものが
一気に実を結んだ形で、エクスタシーを感じるほどでしたね。
3人とも本当に仲間思いでやさしくて、でもうまく表現できなくて、
でもでも不器用なりに身体ごとぶつかっていって、相手もそれを受け止めて……と、
ものすごく人間味あふれる、愛おしい子たちだなと思いました。
彼女たちの他の物語もぜひ見てみたいですね!
そこらへんはスクールアイドルダイアリーに期待しちゃいます。
またお目に入ったときに、ぜひぜひ遊びにきてくださいー!