「ラブライブ!」では過去のアニメ感想にしろ考察にしろ、主にキャラクターの内面を深堀りしながら書いているので、今回も宮下愛のパーソナリティに迫ろうと思っていたのですが、彼女めっちゃシンプルでした。
単純に、楽しいことを追い求めるし、みんなにも楽しくなってほしい。そのために何をするかは関係なくて、むしろ何をするかわからないこと自体が楽しい。
もうほぼこれだけ。何かとこねくり回して考えてしまう私からすると、このシンプルな思考と明るさがとても魅力的に映るため、愛は虹ヶ咲メンバーの中でも特に好きなスクールアイドルの一人です。
そして劇中でも、ニューフェイスである彼女の存在が、今の虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会にとってとても大きなものとなっていました。
目標のないスクールアイドルを肯定する存在
冒頭で天王寺璃奈とともにスクールアイドル同好会に加入した愛は、何をするのかとメンバーに尋ねます。
見ている方からすると、一瞬、愛の感覚のズレを感じた人もいらっしゃったのではないでしょうか。「そりゃスクールアイドルだよ!」みたいな。我々にとっては至極自然なことなんですが、優木せつ菜の返答は、「実は今、それを探しているところでして」でした。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、ラブライブを目標としていません。ラブライブのような、大きなコンペティションを目指すわけではない彼女たちは、部活あるいはスクールアイドルとして特殊かもしれません。
彼女たちはある意味で、大会を目標としているスクールアイドルよりも難しい立場にいます。すなわち、自主的にやりたいことを決め、目標とする必要があるのです(だからグループに分かれて好きな練習をするんですよね。虹ヶ咲らしさが強く感じられるシーンです)。
だからこそ虹ヶ咲のメンバーたちは、小売店を挟まないD2Cビジネスのように、純粋にファンと向き合おうとします。中須かすみが言うように、ファンが楽しむことができればどれも正解。これこそが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の目指すところです。
これが、記事冒頭に記した愛のパーソナリティと通じるポイント。愛は周りの人にも楽しんでもらうことを追求し、自身もそれを心から楽しんでいます。そんな人が身近にいると、自分のやりたいことを通じて「楽しい!」「楽しんでほしい!」という感情をファンと共有する……それだけでいいのかもしれない、と思えるのではないでしょうか。言うなれば愛は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会そのものを肯定する存在なのです。
だから彼女がグループに分かれた練習すべてに参加したことは、些細なことかもしれないけれど、虹ヶ咲にとってはすごく大きな意味があったのではないでしょうか。
スクールアイドルを通じて自己を理解した宮下愛
第4話で大きなポイントとなっていたのは、スクールアイドルのソロ活動。ソロアイドルとしてステージに立つことが提案されると、他のメンバーと同様に愛も悩むことになります。
「皆さんに喜んでもらえるだけのものが、私一人にあるのでしょうか」と桜坂しずくが口にした不安は、みんなが感じていたはずです。正解がない中で、私は一人でファンを楽しませることができるのか?
……少し話が逸れますが、「正解はない」っていう表現はちょっぴりややこしい。「共通する正解」は確かにありません。でも、ファンに楽しんでもらうための「自分なりの正解」はあるはずで、それを見つけられるのか、生み出せるのか、「自分を出せるか」という点に、メンバーは悩んでいます。
純粋に「楽しい」を追いかけてきた愛にとって、「自分を出せるか」という疑問は、今まで考えもしなかったことかもしれません。しかしこれこそが、愛が自らを理解し、殻を破るきっかけになりました。
何度も書いているように、愛は自分が楽しいこと、みんなが楽しいことを追求してきました。推測ではありますが、運動部の助っ人も、「みんな」がなるべく多くなるようにやっていたことではないでしょうか。
逆に言えば、自分のやりたいことが具体的ではない。「これがやりたい」とはっきりしていたら、特定の部に入っていたはずですよね。だから、ソロアイドルという自分を出す場を(おそらく初めて)迎えた愛は、自分がどんなものを表現したいのかわからずに悩みます。
そんな愛に、ひとつの気づきを与えたのがエマ・ヴェルデでした。「みんなといる時、いつも楽しそうにしてたよね」「愛ちゃんが来てから、同好会のみんなの笑顔、すっごく増えてるんだよ」。エマの言葉で、愛は自分が他人に及ぼした影響を初めて自覚したはずなんです。
運動部の助っ人をしている時も、誰かと一緒にいる時も、愛は自分が与えている影響なんて考えもしなかったでしょう。彼女にとって一番大切なのは、自分やみんなが楽しいかどうか。その要因が自分であるかどうかは、思考の範疇になかったはず。
要するに、自分を対象化していなかった。「自分が楽しい」「周りの人も楽しい」はあくまで結果です。自分も他人も楽しいという結果を追い求めていることは自覚していたと思いますが、「自分も周囲も楽しませることが自分のやりたいことなんだ」とは自覚していなかったはずなんです。
それが、エマの言葉で自分が周囲に与えられる力、それを使って周りの人々がどうなったらうれしいのかに気づいた。虹ヶ咲のメンバーはソロアイドル活動に不安をいだいていたけれど、未知を楽しみ、自分も他人も肯定する愛がいてくれたからこそ、同時に期待を抱くこともできました。
ちょっとしたコツで柔軟が以前よりもできる。スクールアイドルの正解がわからなくていい。親に隠れて見ているアニメでも何でも、大好きを叫んでいい。だからみんな笑顔になれる。
そんなふうに、楽しんでもらうこと、楽しむこと自体を、スクールアイドルという場では追い求めていいんです。それが自分の好きなことだから。スクールアイドルは、自分の好きなことを表現できる場所だから。
自分を出すということは、自分を理解することから始まります。「楽しい」「楽しませたい」が好きなんだと気づいた愛。あとは、持ち前の推進力でただそれを追い求めるだけ。ニューフェイスが自分のやりたいことに気づき、純粋に表現する姿は、虹ヶ咲メンバーに大きな刺激を与えたはずです。
せつ菜は、ラブライブ!に “勝つ” ことを目標とした「遊びじゃない枠」の人。
大好きを貫くためには、ツラい事も仕方ないとさえ思っていた人。
でも、大好きな事なら勝ち負けは関係無いじゃない。
大好きな事を思いっきりやるって楽しい。という前話。
それを受けての「楽しい」がいっぱい語られた回でした。
全肯定の愛さんと対をなすように、カラオケルーム(?)で歩夢が「全然ダメだったぁ~」と自虐的・否定的な表現を使っていたのが興味を引きました。第一話の「今はまだ、勇気も自信も全然だから」同様に、殻を破ることが出来ずにいる様子が窺えます。
各人の個人回が終わった後、今一度の歩夢回が欲しい所です。欲しいと言うか、来ますよね。真の主役だし。
画造りに拘ってしまう自分としては、 “愛さんが太陽をつかむカット” が今話の気になるポイントでした。
シリーズを通して観てきた身にとっては、馴染みの構図です。
しかし今まで、それをするのを許されたのは主人公でした。
前例に従うならば歩夢か侑がすべき行為なのに、愛さんに振られた。
もしかすると “ソロライブ=全員が主役” である事の証なのかもしれません。
穂乃果は、無限の可能性(太陽の輝き)を掴みに行き、
千歌は、届かない夢(カモメ=μ’sの白い羽根)を掴み損ねた。
さて、太陽を掴んだ愛さんは(そして彼女に象徴された虹ヶ咲の皆は)、どんな景色を見せてくれるのか。
期待します。
前回出した結論を受けての愛さん回っていう流れはすごく腑に落ちますよね。
ただ「楽しむ」だけってゆるく見られがちですが、それを貫く強さだったり、エネルギーだったりが必要で。
愛さんからそんな力を感じるエピソードでしたね。
対照的に歩夢はまだ恥ずかしさが残っているというかw 伸びしろですねぇ!
太陽を掴むカット、なるほど! と膝を打ちました。
虹ヶ咲はソロであるがゆえに、全員が主役という意識は制作側にもありそうな気がしますね。
純粋に「楽しい」を貫いた先に何が待っているのか、私も非常に楽しみです。