5話まで見た時点での感想ではありますが、虹ヶ咲はだいぶマイルドというか、誰かと誰かのぶつかりあいだったり、誰かの問題を数話にわたって引きずるということがないですね。優木せつ菜の件も1話完結であっさり解決。
本音を隠したがる二人が本音をぶつけあうシーンを見て二人が大好きになった無印以来のファンとしては、ちょっと物足りなさも感じてしまうのが正直なところ。もっと衝突すれば、彼女たちのさらに深いところが見られるかもしれないのに……と思うのは、作品のターゲットとなる世代をとうに過ぎた人間の戯言でしょう。
今作はシリーズを踏襲している点もありつつ、妙にリアリズムを感じるのが特徴です。この5話でも動画の再生数が出ていましたが、数万再生を記録してきた先代たちと比べると、すげーリアルな2,095回という数字。人と人の距離感も今風ですよね。ここらへんの話や、高咲侑の存在については1期を終えたあとに書いてみたいところです。
さて、5話に戻りまして、今回は“令和ののぞえり”(というにはまだ早い?)エマ・ヴェルデと朝香果林のお話でした。
人の心をポカポカさせるスクールアイドルとは何か
上原歩夢の自己紹介動画の再生数が伸びてきたことから、各メンバーのPVを撮影することにした虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会。それぞれの個性をキーワードとして挙げていく中、エマが口にしたのは「人の心をポカポカさせちゃうようなスクールアイドルになりたい」でした。
では人の心をポカポカさせるスクールアイドルとは何か? それがどんなアイドルなのかよくわからないと話すエマは、桜坂しずくの提案もあって、イメージを膨らませるべく服飾同好会で衣装を着てみることに。
さまざまな衣装を着たエマは「心をポカポカにするってこういう感じなのかな?」という満更でもない様子。侑も「癒やされる〜!」と抱きつきます。
そんなエマの姿は、確かに“癒やし系スクールアイドル”かもしれない。けれど、本質はそこではありませんでした。
ここまでのエピソードでは、虹ヶ咲学園のスクールアイドルたちの、不特定多数のファンを意識した心情や活動が描かれてきました。けれど今回は違う。エマが「一番近くにいる果林ちゃんの心も温めてあげられなかった」と後悔を口にしたように、5話で描かれたのは、目の前にいる一人のために存在するスクールアイドルです。
それは、自分のイメージに合う衣装を着て「癒やされる」という言葉を浴びるスクールアイドルじゃない。だからエマは、衣装に着替える前に、スクールアイドルとしてのありのままの姿である制服のまま、果林に会いに行くのです。
本当の自分を出すことを恐れていた果林に対し、「もっと果林ちゃんの気持ち、聞かせて。私に」と声をかけ、その手を引くエマの姿を見ていると、彼女は“引き込むスクールアイドル”なのだなと感じました。今までは自分のカラーを全面に出すスクールアイドルのエピソードが続きましたが、エマは誰かのありのままを受け止める。誰かの拠りどころになろうとする。それが、彼女がやりたい「人の心をポカポカさせちゃうスクールアイドル」なのではないでしょうか。
果林が残したアンケートを見て、すぐさま行動に移したシーンが印象的です。学生と読者モデルの両立、そしてスクールアイドル同好会のヘルプで多忙を極める果林は、休みの日にやりたいことに「友だちと思い切り遊ぶ お台場をブラブラ食べ歩いたり」と書きました。それを見るや否や、同好会の活動をなげうって果林の元へと駆け出すエマ。本音が言えない果林の本音を知り、ささやかな願いを叶えに行ったのです。
言ってしまえば、彼女にとってスクールアイドルよりも大事なものがある。でも、それを大事にすることが、結果的に理想とするスクールアイドルの姿になる。もしかしたら、エマは人の心をポカポカさせる意味を言語化できるまでは至っていないかもしれません。けれど、目の前の一人を大切に思うことそのものが、エマをエマ・ヴェルデというスクールアイドルたらしめる上で大切なことなのではないでしょうか。
ソロアイドルだからこそできることかもしれません。グループでは、特定の誰かのために、一人のスクールアイドルが存在するという構図にはなりにくい。一人のスクールアイドルが、大切な友人のためにある。これもまた、虹ヶ咲らしい新たなスクールアイドルの形です。
仮面を外して、果林ちゃん
「くだらないと思って遠ざけてきたことが、全部楽しかった」
それなのに素直になれないこと、あるよね……と、在りし日を思い起こしながら果林の姿を見ていました。
スクールアイドル同好会に誘うエマに対し、不自然なほど辛辣に拒絶する果林。初めて見たときには不思議で仕方がなかったのですが、彼女が守りたかったのはクールでカッコよく、大人びた朝香果林……ではなく、クールでカッコよく、大人びた朝香果林を守る自分でした。
「自分はこういう人間だから」という自意識に縛られてしまうのは、よくあることです。20代30代でもそういう人はいますし、ティーンであればなおさらですよね。
果林の場合は、そのクールな印象がモデルとしてのカラーになっていたかもしれません。となると余計に「クールでカッコいい、大人びた自分」が拠りどころになってしまう。そこにアイデンティティが生まれると、どうしてもこだわってしまうものです(「こだわり」って漢字で書くと「拘り」、拘束の「拘」の字を使うのが興味深いですよね)。
本当はみんなとスクールアイドルをやってみたいけど、朝香果林のキャラクターを守るためにも、その誘惑から逃れないといけなかった。だから必要以上にエマのことを突き放してしまったのです。
それでも、エマは「どんな果林ちゃんでも、笑顔でいられればそれが一番だよ」と優しく声をかけます。笑顔でいられれば……お台場を遊び歩いたときのように、自分の願いや思いを素直に表現することができれば、それが一番。素直に表現した結果が、クールでカッコよく、大人びた果林ならそれでいいのです。本音を出しても「きっと大丈夫」。
本心を隠していた果林を、エマは「来て」「今日、私に付き合って。お願い」と、今まで聞いたこともないようなトーンで、なかば強引に引っ張り出しました。それができるのも、相手が果林という存在だからなのかもしれません。
侑や歩夢に心配されても本当のことを言わなかったエマですが、強く自分の要求を伝えたのは相手が果林だからこそ。困っていた時に助けてくれた大切な友人が、本当に願っていることを叶えたいと思ったからこそ。
そして、それはこの日で終わりじゃない。何度も書いていますが、自分の好きなこと、やりたいことを表現できる場所がスクールアイドル同好会です。だからこそ、エマは果林をスクールアイドル同好会に誘い、本心をさらけ出した果林はとうとうそれに応じるのですね。
この構図、どこかで見たことがありませんか? そう、1話の侑と歩夢です。さらに今回、侑が歩夢以外のスクールアイドルにとってもよき理解者となっていることが、PVの再生数アップのくだりを通じて描かれていました。では、同じく再生数が伸びたエマのPVを編集したのは誰か? ……本音を打ち明けた人、それを受け止めた友人。一連の出来事を経て、二人はそのつながりをより強いものとしたのです。
1〜4話のPVは自分の新しい可能性に気づいて外に広がって行く物でした。エマも、”スイスの山” というイメージや「みんなの心をポカポカにしたい」という望みに沿って開放的なものになるかと思いきや、実は緞帳の内側という極々小さい空間で演じられていて、まさに「果林のためだけ」に歌われているんですね。
「やりたいと思った時から、きっともう始まっているんだと思う」
TOKIMEKI Runners の歌詞に
>夢っていつから見るの
>気が付いた時 もうみてる
と歌われますが、そこの歌唱がエマ果林というのが何ともエモい(語彙力)。
それだけでなく、果林の買う雑誌が無印から続くものであったり、その表紙にいるアイドルがスクフェスにおけるモブキャラ人気選挙(実質PDP選抜選挙)の次点二人だったりとか、色々な細かいネタを丁寧に拾ってきているのが分って、スタッフの作品愛に感激します。
緞帳の内側という視点に膝を打ちました。前回の愛さんがオープンスペースで歌っていたのと対照的ですね!
歌詞しかり、雑誌しかり、過去作やら4コマやらから色々なネタを拾っているあたり、
本当にスタッフさんのこだわりが感じられますね。「ラブライブ!」と虹ヶ咲の全部を表現してやろう
というような意気込みを感じちゃいます。