アニメ感想

TOKIMEKIとは何か―「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第1話感想

虹を間近で見ているような、パステルカラーがあふれる「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のアニメは、高咲侑の「いまいちときめきが足りない」というダメ出しから始まりました。

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のキーワードである「ときめき」。胸を躍らせるような状態を示す言葉ですが、その原点をたどると、「時+めく(そういう状態になる)」すなわち「良い時期にめぐりあって栄える」という意味があるそうです。

ダイバーシティ東京で放課後のウィンドウショッピングを楽しむ侑と上原歩夢がまさにめぐりあったのが、スクールアイドル・優木せつ菜のライブでした。

思いを解放する歌「CHASE!」

ダイバーシティ東京の階段上のステージ(リアルの虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が、初めてファンの前でパフォーマンスした思い出の場所ですね)でせつ菜が歌ったのは、彼女の代表曲である「CHASE!」。炎が吹き出す演出も行われた、なかなか本格的なステージです。

侑と歩夢が目にしたのはCメロ以降。大サビに向かって一気に盛り上がるパートですね。虹ヶ咲の中でも非常にメッセージ性が強い、まぶしいくらい真っ直ぐな歌詞が、せつ菜の熱を宿した歌声とともに侑を包みます。

まぶたを閉じれば何度だって出会える
高鳴る鼓動 信じる未来を ここに宿す
世界が色づいて光りだす瞬間を
君と見たい その心がアンサー

走り出した!思いは強くするよ
悩んだら君の手を握ろう
なりたい自分を我慢しないでいいよ
夢はいつか ほら輝きだすんだ!

言ってみれば“解放”の歌ですよね。やりたいこと、信じる未来、夢に向かって「走り出した!」。つまり、もう走っている。なりたい自分を我慢しないで、突き進んでいいんだ。自らの思いを解放する歌が、侑の心に火を灯します。

「CHASE!」を歌う優木せつ菜

夜を徹してスクールアイドルの動画を漁る侑。「ラブライブ!」に出会った瞬間……いえ、「ラブライブ!」じゃなくても、好きなものに出会った瞬間って、みんなこうだったんじゃないかと思うんです。「わあああなんだこれすごい!」ってなって、わくわく、うきうきする気持ちとともに、とにかく色々な情報を探して、繰り返し動画を見て。「すっごくやる気が湧いてくるんだよね、こんな気持ちになったの初めて」という侑の言葉に、強く共感した人も多かったはずです。

「ときめき」とは何か

歩夢の手を引っ張り、虹ヶ咲学園の部室棟にやってきた侑。超マンモス校の虹ヶ咲学園には部活・同好会が100以上あるとのことで、今年できたばかりのスクールアイドル同好会の部室を探すのも一苦労。しかし、スクールアイドル熱を帯びた侑はお構いなし。分からなかったら聞けばいいと、とにかく前のめりです。

結局、スクールアイドル同好会の廃部を聞かされてしまうわけですが、それ以前の感情を、侑はこう表現しています。

「自分の夢はまだないけどさ。夢を追いかけている人を応援できたら、私も何かが始まる。そんな気がしたんだけどな」

「自分の夢はまだない」というように、侑の中には具体的にやりたいことがあるわけではありません。けれど、何かやりたい、今すぐ動きたい、自分を動かしたい。そんな抑えようのないエネルギーが、侑の心に宿っている。それこそがまさしく「ときめき」なのです。部室がどこにあるのか、同好会に入って何をしたいのかはよくわかっていない。それでも、今すぐ前に進みたい。ときめきは、とっておけないんです。

スクールアイドルにドハマリした高咲侑

この時点で少し振り返ってみましょう。2年生の時点で「部室棟に初めてきた」くらいですから、侑と歩夢には特段打ち込むことがなかったはず。かつ、1話の序盤で「このあとどうする?」「いつもどおり適当に」と言っているように、侑と歩夢は放課後、二人でおいしいものでも食べながらプラプラするのが日常だった様子。あちこちにとっ散らかる会話からも伺えますが、要するに刹那的な時間を過ごしていたわけです。

そこに、「CHASE!」を通じてスクールアイドルへのときめきという軸と熱が差し込まれた。アニメ前半で何気なく発せられる言葉や時間の流れには、スクールアイドルへのときめきを得たあとの二人を際立たせる意味があることがわかります。

そして、「CHASE!」に“あてられた”のは、侑だけではなかったのです。

上原歩夢がスクールアイドルを始めるワケ

1話冒頭でショーウィンドウに飾られたピンクの服を勧める侑に、歩夢は「かわいいとは思うけど子どもっぽいって」「もうそういうのは卒業だよ」と遠慮がち。このシーンだけでも、例えば年相応の格好とか、外的な要素を重視して自分の思いを押し殺してしまう歩夢のパーソナリティの一端が伺えますね。

そこに刺さったのが「CHASE!」。これ以上分かりやすい言い方はないであろう「なりたい自分を我慢しないでいいよ」というメッセージは、歩夢の心に強く響いたはず。ただ、その気持ちの出し方に歩夢は少し戸惑っていました。天王寺璃奈に「あなたも(スクールアイドル好きなの)?」と問われた歩夢は「どうだろう、まだよくわからないかな」と返しています。

上原歩夢に問いかける天王寺璃奈璃奈かわいすぎんか
天王寺璃奈の問いかけに答える上原歩夢

のちに「自分の気持ちが止まらなくなりそうで怖かった」と話していますが、侑と同じく胸に宿ったときめきを、本当に止めなくていいのか、我慢しないでいいのか、(もしかするとそんな経験が今までなかったゆえに)分からなかったのではないでしょうか。

まるで初恋をした乙女のようでかわいらしすぎるのですが、そんな歩夢の背中を押したのは、スクールアイドル同好会の廃部を聞かされたあとの侑の言葉だったように思います。先ほども引用した「夢を追いかけている人を応援できたら、私も何かが始まる。そんな気がしたんだけどな」ですね。

せっかくときめきによって侑が動き出したのに、それ受け止める存在となるはずだったスクールアイドル同好会がなくなり、侑の気持ちは行く先をなくしていました。そんな侑の気持ちを、歩夢は消したくなかったように思うのです。

高咲侑に思いを伝える上原歩夢

もちろん、歩夢の中で一番大きいのは「スクールアイドルって本当にすごい。私もあんなふうに(自分の気持ちをまっすぐ伝えることが)できたら、なんてステキだろうって」「私はスクールアイドル、やってみたい!」という思い。今まで抑えがちだった自分の気持ちをまっすぐに表現していい、新しい世界を歩夢は見つけました。

でも、その世界に一人で行っても意味がない。彼女にとって幼なじみがどんな存在なのか、まだ詳しくは語られていませんが、新しく生まれ変わろうとしている自分のそばには、侑が必要なのです。

何かが始まりそうなワクワクする気持ちを抱いたのは、自分も侑も同じ。スクールアイドル同好会の廃部が決まったからといって、変わることができるんじゃないかという自分への期待、何かが始まりそうという侑の期待をなかったものにしたくない。何より「自分に素直になりたい、だから見ててほしい」。歩夢の隣には、侑が必要なんです。

階段の上で歌い出す歩夢。もしかすると本当は、歩夢が歌ったのはほんの一節、ちょっとだけ歌とフリを覚えたものを見せただけだったかもしれません。それでも侑の目にはきっと、大好きなピンクの服を身にまとい、いきいきと踊りながら歌った上原歩夢というスクールアイドルが映ったのではないでしょうか。

POSTED COMMENT

  1. 椿(Chin) より:

    新シリーズも感想を上げていただき感謝いたします。
    また駄文を連ねる事となり、お目汚しかと存じますが、ご容赦のほど。

    「動画とか、いっぱい観たんだよね」
    「せつ菜さんのだけじゃなくて、沢山」
    本編で触れられることは無いでしょうが、「いっぱい・沢山」の中にμ’sやAqoursとかのグループも入っているんだろうなと想像させる一言で、今回のお気に入りセリフの一つです。
    「いつだって私は、歩夢の隣にいるよ」
    の直後の歩夢の表情。良くある演出では “飛び出して行って、抱きつく” 形になりそうな感じですが、グッと堪えて今出来る精一杯の笑みを返してきました。
    スクールアイドルをやると勇気を出し、我慢しちゃいけないと分かったとはいえ、未だ全てを解放できていない歩夢が、最期には「侑ちゃんが好き」を素直に宣言して胸に飛び込んでいけるようになるのかな?なんて思っています。

    その他の話として、今回は改めて脚本の “力” という物を感じています。
    今まで、いわゆる富野セリフだとか花田脚本での「~って、~って、~って」の繰り返しといったような言い回しだとかの “好み” は持っていましたが、作品のカラーは演出家(監督)に左右されるものだと思っていました。それが「ホンで、ここまで色が変わるものなのか」と驚いています。
    自分、共感覚っぽいものを持っているんですが、花田脚本を聞いていると、物語の始まりにぼんやりとした空気を感じます。クラゲが漂っているような・春霞の中で迷っている様な。観ている画面とは別の、薄墨で描かれた水墨画のような、淡く・輪郭もはっきりしない 映像が聞こえて きます。
    しかし、今回の田中脚本では、前作(花田ラブライブ!)と同じように居るべき場所を求めながら、それが何処なのか何なのか分らずにいる主人公を描くところから始まっているにも関わらず、凄くハッキリとした形を持ってセリフが入ってきました。
    こういった感じ方の違いが何に起因するのか自分でも分かりませんが、作品の向かう方向が既に違っているという事なのかもしれません。
    奇しくも、田中仁氏がシリーズ構成を手掛けたGo!プリンセスプリキュアも「皆が一緒に生活をして、夢を叶える学園」が舞台で、プリキュアに変身しない友人が物語のキーとなる作品でした。そちらは “未就学女児向け番組” の仮面を被りながら、ストーリー的には「夢を阻む壁があるならば、砕く力をつけてぶち抜いて見せろ」というゴリゴリマッチョな少年漫画でしたが、とりあえず “大人向け” の虹ヶ咲では、どのような展開を見せてくれるのか三カ月間楽しみです。

    • ばかいぬ より:

      椿さん、返信が遅くなってしまいごめんなさい!
      こちらこそ、またコメントをくださり、ありがとうございます。

      まだ2話までしか見ていませんが、本作は登場人物の芝居がとても良いですね。
      椿さんが書いてくださったシーンに代表されるように、表情や動きでもパーソナリティが随所に感じられて、
      製作陣もこだわっているように思います。こういうのを見ると、より登場人物の心情がグッと伝わってきますね〜。

      また、ご指摘の脚本について、コメントを読んで私もすごく勉強になりました。
      私自身はあまり脚本家の違いが分からず(とはいえ富野由悠季さんのセリフ回しは大好きなんですが)、
      椿さんほど本から感じられるものがないのですが、やっぱり違いがあるものなんですね。
      Go!プリのことも書いてくださいましたが、同じ方が書いた別作品もチェックしていると、より特徴が分かりそうですね。
      そこらへんのことは全然知らないので、ぜひぜひまた教えてください!

      あと、「ハッキリとした形を持って」の「ハッキリとした形」がどんなものか、めちゃくちゃ気になりますw

      • 椿(Chin) より:

        「ハッキリとした形が聞こえる」という感覚は、自分でも把握し切れていないので説明が難しいのですが、あえて言葉とするなら “丸ゴシック” な音とでも表現すればよいのでしょうか。カッチリしているけど、角は無い・太くもないと言うか。音が見えるわけではないのですが、自分のイメージとして、声を聞いたときに “頭の中で文字起こしをして、それを頭の中で読んでいる” 感覚があります。その時に使われているフォントの形と説明するのが近いような気がしますが、どうにも腑に落ちなくて気持ち悪いのが正直なところです。
        花田本は、教科書体を華奢にした音かもしれません。女学生の不安定な心理を描くのには、こちらの方が合っているような気がしています。「花田は “女の子がキャッキャウフフしているだけの話” を書かせたら天下無双」などと評している人を見た事がありますが、同じような感覚を持っている人だったのかな?なんて思ったりもしています。

        • ばかいぬ より:

          なるほど〜、音としての言葉がビジュアル的に入ってくる感じなんですかね。
          しかも脚本家さんによってフォントが変わる……自分にはない感覚なので、コメントを拝読しているだけでもすごく新鮮な気分になりますw
          お答えいただきありがとうございます!

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