はねバド!

石澤望が最後に見せた笑顔の意味―「はねバド!」第8話感想

ここまで本作を見てきた方はご承知の通り、アニメ「はねバド!」の物語は負けたプレーヤーから描かれています。悔しさの上に成り立っていると言ってもいいでしょう。

世界一のプレーヤー以外は誰しもが負けるし、たとえ勝ったとしても妬むような声が聞こえてくる。それでも、彼らは勝利を求めてバドミントンに打ち込みます。艱難辛苦を越え、努力を重ねて伸ばしてきた力を証明したい。そのチャンスは、3年足らずというタイムリミットがある高校生には決して多く与えられていません。少しでもその機会を得るには、勝ち続けるしかないのです。

荒垣なぎさと石澤望は同級生にして同じ中学出身という、浅からぬ因縁があります。強豪である逗子総合高校の特待生に決まりかけていたなぎさでしたが、いざ蓋を開けてみると、特待生に選ばれたのは望でした。

望からすれば、自分が実力でなぎさに劣ることはわかっていたでしょうし、泉理子もそう理解しています。それでも選ばれて“しまった”違和感が、進学したあとも彼女を苛んでいたことは想像に難くありません。自他が計る望の実力と「特待生」という肩書のギャップに苦しむ望。それを乗り越えるには、なぎさを上回るしかないのです。

しかし逗子総合の監督である倉石は、望を勝たせるために自分の指示通りに動かそうとした。決して我の強い子ではなく、自信もない望はそれを受け入れるしかありませんでした。結果、勝てるようになったものの、自分の実力で勝利をつかんだ実感は皆無だったでしょう。本当は、積み重ねてきた力を証明したいはずなのに――。

「強くなきゃやる意味ないんだよ」とは、羽咲綾乃の言葉。それに連なるように、倉石は望になぎさの膝へダメージを与える戦術を授けます。確かに、勝つためには相手の弱みを突くことは大切です。でも、望がたどりたい「道のり」はそうじゃない。3年間、「がんばって、耐えて、我慢してきた」自分を、意味のあるものにしたい。だから、「がんばって、耐えて、我慢してきた」自分のバドミントンをなぎさに思い切りぶつけて上回らなければ、意味がないのです。

なぎさに勝って、苦しかった3年間を意味のあるものにしたい望。そして過去の自分を乗り越えたいという思いは、なぎさも同じでした。どんな球にも必死に食らいつくのは、コートの中で一度諦めてしまったから。もう、そんな自分にはなりたくない。バドミントンをやる意味を失いたくない。

そう、二人とも、バドミントンをやる意味を探していたのではないでしょうか。それはバドミントンプレーヤーの原点です。ここをスタートにして、彼らはコートに表現するものを見つけていく。それが、自分のバドミントン。監督の言いなりでは見つからない、自分自身で見つける、「バドミントンをやる意味の結晶体」です。

奇しくも、なぎさは望との一戦でその一端をつかみました。競技におけるアイデンティティと言ってもいい“自分のやり方”を探し、見つけるのって、すごく楽しいんですよね。だから、原点に立ち返った望はあんなに良い顔をするのです。ネットを挟んで相手と向き合い、自分と向き合う。今ここから、自分のバドミントンを探す望の旅が始まります。

バドミントンをやる意味を見つけ、コートで表現することは、勝ち負けとはまったく次元が異なるものです。自分がどんなバドミントンプレーヤーなのか、これからどうありたいのか。それは弱い自分、何かができない自分を我慢せずに受け入れ、強い自分、何かができる自分を認めてあげることに他なりません。望はようやく、「バドミントンプレーヤー・石澤望」と向き合うことができたのです。

 

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