はねバド!

「強さの先に見える風景」とは何か―「はねバド!」第12話感想

「シャトルを拾えなかったら終わり」という母との遊びは、羽咲綾乃の能力を伸ばすとともに、心を縛りつけていきました。

世界トップレベルのバドミントンプレーヤーである母と過ごせるわずかな時間を、二人は「好き」なバドミントンに費やしていました。母と好きなことをして過ごせる時間を少しでも伸ばすために、幼い綾乃はシャトルを拾い続けたのです。

国内外を飛び回る母とのつながりは、このバドミントンのみ。綾乃は多忙な母と一緒にいる時間がほしいために、シャトルを落とす=自分の負けを“ノーカン”にしてほしがっていました。それは中学生になっても変わらない。負けが認められなくなっていったのです。

母・有千夏からしてみたら、「落としたら終わり」の遊びは、娘の中に眠る才能と、それを目覚めさせる努力を引き出すためのものだったのかもしれません。しかし「あの子は私のためにバドミントンをやるようになってしまった」。

有千夏は綾乃に、母(あるいは、母との時間)のためにバドミントンをやってほしくなかったのです。娘にはもっと純粋に、ただただバドミントンのすべてを――敗北さえも含めた、バドミントンのすべてを楽しんでほしかったのではないでしょうか。そして有千夏は綾乃に「見てほしかった」と言います。「強さの先に見える風景」を。

「強さの先に見える風景」は、誰もが見られるものではありません。まず、文字通り強くあらねばならない。そして、大きなケガでリタイアすることも避けなくてはいけません。有千夏は、それに人生を賭けるのは「割に合わない」と言います。ここからは説明不要、彼女の言葉を引用しましょう。

「身体を自在に動かして、シャトルを思い通りに操って、倒し難い相手とすべてをかけてぶつかったとき、そこに生きている意味があるんじゃないかって思うことがある」

まさにそれを今、感じているのが荒垣なぎさではないでしょうか。北小町高校のキャプテンは、この決勝戦で「楽しもうぜ」と繰り返し言葉にしています。それは綾乃という強敵を前に自分を落ち着かせようとしているわけではなく、お互いに「すべてをかけて」ぶつかろうぜ、と言っているのですね。見ての通りなぎさは、全身全霊をかけて綾乃と戦っているのです。

一方の綾乃は、楽しんではいないでしょう。自分を捨てた母親を、今度は自分が捨てる――そのための戦いには、悲壮感すら漂います。

「負けたら捨てられる」という思いは、綾乃をより辛辣な人間へと変貌させました。「負けたから捨てられた」という経験があるから、今度は捨てられないようにする。それは勝ち続けることで成し得ますが、彼女はそれに一度失敗しています。ゆえにもう一つの方法……自分から先に他人を捨てることで、自分が捨てられないようにするのです。だからこの15歳は、周囲の人間にキツく当たる。自分から捨てていれば、捨てられることもないから。

そんな彼女にとっての「新しい世界」とはなんでしょうか? 「負けても捨てられない世界」ですよね。そしてまさに今、綾乃は「仲間」のおかげで、その世界に一歩踏み入れようとしています。

決勝という大舞台にたどり着いたのは、強かったから。そして強い綾乃の背中には、伊勢原空や海老名悠、芹ヶ谷薫子たち、全国へ行きたかった、決勝で戦いたかった人の思いが託されています。それは決して重荷ではありません。むしろ、大舞台で戦う綾乃の背中を押す力となるのです。強さは人を魅了しますが、勝てなかったからって離れるわけじゃない。ファンとは、仲間とは、そういうものです。

不断の努力によって開かれた才能で、綾乃は心の底から望んでいたものを手に入れようとしています。枷のなくなった綾乃は今、荒垣なぎさという最高の好敵手を前に、「強さの先に見える風景」へと足を踏み入れるのです。

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