はねバド!

荒垣なぎさがやつあたりした理由と、太郎丸美也子という存在―「はねバド!」第1話感想

中学生相手にスコンク(完封負け)を喫した荒垣なぎさ。最後の1ポイントは、「入ってる」のに諦めてしまいました。ティーンのアスリートにとって1年の差はとても大きいはずなのに、年下に対して1ポイントも取れずに負けた。まざまざと見せつけられた……いいえ、身体に刻み込まれた、「持つモノと持たざるモノの差」です。

その残酷さは、テニス部の描写でもって語られています。部長が2年相手にラブゲームで手も足も出ない。しかもモテる。「才能レベルで違う」のです。

なぎさの怒声が響きわたる体育館の雰囲気は暗く、コートに落ちた影がより色濃く見えます。「やつあたり」と大船友香が評していましたが、なぎさは自分の中で整理がついていないのです。すなわち、才能がない人間がバドミントンをやる意味を、どこに見出せばいいのかわからない。

唯一、この先の見えない不安を払拭するには勝つしかありません。そして勝つためになぎさが採れる方法は、必死で練習することだけです。だから、自分はもちろん、他の部員にもそれを求めます。自分の周りにいる、完璧ではない……端的に言えば「負けるプレーヤー」(最終的に世界一のプレーヤー以外みんなそうなるのですが)が、まるでスコンクされた自分自身のように見えるのかもしれません。

彼女が抱えているのは「不安」です。小さい頃から自分が重ねてきた努力はムダだったんじゃないかという不安。実はこれには、太郎丸美也子という存在が少なからず影響を及ぼしています。美也子先生には申し訳ないのですが、彼女がバドミントンを経験していないぶん、プレーヤーとしての悩みも、努力して身につけたモノの価値も、心の底から理解することは難しい。だから部員たちは、自らの努力の価値を自分で証明するしかないのです。

でも、この年頃の少年少女たちにとっては、それこそ難しいこと。だから一番わかりやすく、かつ実感もできる「勝利」を渇望します。才能を持つモノに勝たなければ、何のためにバドミントンをやっているのかわからない。なぎさの、バドミントンプレーヤーとしてのアイデンティティが失われかけています。

そんななぎさに追い打ちをかけるように、テニス部に体験入部した羽咲綾乃が姿を現します。「持つモノ」がそれを捨て、他のことをやろうとしている姿は、「持たざるモノ」にとって実に酷なものです。持つモノ=綾乃がバドミントンをやらないなら、持たざるモノ=なぎさのバドミントンは、本当に意味がなくなってしまう。

その現実を前に、なぎさは逃げ出してしまいました。自分のバドミントンにおけるアイデンティティをまた否定されるのが「怖くて」。

今のなぎさは、他者である綾乃にコントロールされてしまっています。それだけ綾乃が強かったということですが、その強さに圧倒されたなぎさは、自分の中でバドミントンを位置づけられなくなっている。「なぜバドミントンをやるのか?」それを自分の中に見つけなければ、なぎさは苦しいままなのです。

藤沢エレナに無理やり体育館へ連れてこられた綾乃は、バドミントン部の部員たちの前で、バドミントンを否定します。

「やったって何の意味もないし」
「たかがスポーツですよね」
「それも、部活のバドミントンなんか、何の意味もないです」

それに激昂したのは、なぎさではなく泉理子でした。

才能あるモノがその才能を否定したら、ないモノまでも否定されてしまう。それでも、ないモノは――なぎさやバドミントン部に残った部員たちは、バドミントンと向き合い、そこに意味を見出そうとしています。理子はその姿をずっと見守ってきた。だからこそ、ああまで怒ったのです。自分だけでなく、「死ぬほどがんばって、どうしても勝ちたくて」努力している大切な仲間まで否定されたから。

そこに割って入ったのは、なぎさでした。汗をひとつ垂らしながら、「私と勝負しろ」と、綾乃に“宣戦布告”をする主将。昨日「怖くて」逃げ出した相手に試合を挑む――それはつまり、自分がバドミントンをする意味との対峙でもあるのです。

逃げ出した自分を認め、それに打ち勝とうとしている。自分自身とそのバドミントンに向き合う兆しを、荒垣なぎさは見せ始めています。

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