はねバド!

海老名悠が手にするフランクフルトの意味は―「はねバド!」第2話感想

先行上映会でこの第2話を見た時、思わず膝を打ちました。レポートでも書きましたが、原作で埋もれがちだったキャラクターをうまく際立たせながら、物語の核心を描いていく構成にとても感激したのです。

今回、その“水先案内人”となったのは海老名悠です。まずは荒垣なぎさが自分を解放するに至るまでの心理を追い、そして都合3回描かれた悠の買い食いシーンを見ていきましょう。

“才能”からの解放

藤沢エレナの策略によってバドミントン部に入部した羽咲綾乃。彼女の存在が、荒んでいたなぎさの心をさらに波立たせます。ダブルスを組んでもまったく呼吸が合わず、しまいにはなぎさが「なんでスマッシュを打とうとすると邪魔するんだよ」と綾乃に怒声を浴びせる始末。

この言葉は、単なるいら立ちの言葉ではありません。「私にはスマッシュがある」と言っていたように、スマッシュはなぎさの一番の武器であり、努力の結晶です。このスマッシュで結果を出さなければ、今までバドミントンにかけてきたすべてが水泡と帰してしまう。だから「決めなきゃ、これで決めなきゃ」と焦る。

174cmと女子としては大きい方のなぎさ。小さい頃から「大きい」から「勝って当たり前」と言われてきました。どんなに努力を重ねても、「背が高いから」で終わり。でも、なぎさにとってはそうじゃありません。自分のすべてをかけるくらい、バドミントンの練習をがんばってきたから勝てるのです。

決して才能のおかげで勝っているわけじゃない。がんばってきたから勝てるということを証明したい。だから、才能に負けられない。本気でバドミントンをやっていない(ように見える)綾乃には絶対に負けたくない。才能に負けるのは、自分の努力が無意味だったと言われるようなものです。

積み重ねた練習とそれで培ったスマッシュは、バドミントンにおけるなぎさのアイデンティティ。彼女はそれを守るために、スマッシュのコースや角度を気にして、大胆さをなくした試合をしてしまいます。なぎさらしくない、“守りのバドミントン”になってしまうのですね。

しかし、なぎさがこんなにも気にする才能を「そんなのどうでもいい」と言い放ったのは、荒れるキャプテンに嫌気が差してバドミントンをやめた大船友香でした。「私が羨ましかったのは、あんたがバドミントンをとことん好きだってこと」。努力を続けるための“才能”であるなぎさの「好き」を、友香は見抜いていたのです。

なぎさに対し、友香と同じくフラットな目線を向けていたのは立花健太郎でした。181cmと「タッパのある」健太郎は、背が高いからこそ言われること、デメリット、鍛えなきゃいけない身体の部位、そして何よりも「それらを克服しないといくら背が高くても勝てない」ことを知っています。

例え出会って日が浅くとも、同じ境遇だったゆえに積み重ねてきた努力がわかる。自分のスマッシュを信じていいと言えます。なぎさが死にたいくらいにわかってほしかった、努力を積み重ねてきたからこそ強いこと、そしてバドミントンがとことん好きなことの両方を理解している、初めての人物なのではないでしょうか。

ようやく自分を解放できたなぎさは、部員たちに謝意を述べに行きます。それを受けた部員たちは、インターハイへ向け心をひとつに。バドミントンが好きな者同士、何かに打ち込む楽しさが一致したのです。

そしてその「打ち込む楽しさ」は、バド部の外にも広がっていきます。

フランクフルトは「楽しさ」

悠の「運動の後の肉は格別ッス!」という言葉。サブタイトルになっているということは、結構大事な言葉でもあるわけです。読み取れるのは、「運動の後の肉」が「楽しみ」であるということ。「がんばったご褒美」とも言えるでしょうか。

最初の買い食いシーンは、悠と友香たち。悠はフランクフルトをおいしそうに頬張りますが、友香はフランクフルトではないホットスナックを手にし、口もつけずに悠へ差し出しています。「フランクフルト=何かに打ち込む楽しみ」と捉えると、このシーンはおもしろい。バドミントン部から離れ、別段打ち込めるもののない友香が表現されていることがわかります。

2回目は悠となぎさ。同じフランクフルトを食べており、それぞれが「何かに打ち込む楽しみ」を味わっていることが伺えます――本来ならば。余裕のないなぎさは、悠のように美味しそうに食べるでもなく、ただ浪費しているだけ。悠の励ましの言葉も届いていません。

そんななぎさが健太郎の指導によって復活し、バドミントン部が再びまとまった後に3回目の買い食いシーンが描かれます。部活後のフランクフルトがすっかり習慣化した悠の前に現れたのは、予備校に通いだした友香たち。「打ち込めるものなんてない」と友香は言いますが、彼女たちは立派に、「自分からがんばる何か」「目標に向かって進む楽しさ」を見つけました。それはバドミントンをがんばる悠とまったく同じ。だから、“フランクフルト”を4人で分け合った。がんばる場所は違えども、同じ「楽しさ」を共有したのですね。

荒れるなぎさを前にしても、悠はバドミントンをやめませんでした。試合形式の練習で伊勢原学に破れ、心底悔しそうにコートを叩く葉山行輝のように、ここにはバドミントンが大好きな人しかいないのです。そんな悠たちが味わう、何かに打ち込む楽しさは、

「いやー、やめられませんなぁ」

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