はねバド!

葉山行輝の姿を海老名悠が直視できなかった理由―「はねバド!」第10話感想

葉山行輝が戦っていたものの正体は、前回の記事で書いたとおりです。何でもそうですが、後発の人に追い抜かされてしまうのは、やっぱりつらいもの。僕なんかは「こんなもんかな」と思って適当なところでやめてしまう人間ですが、行輝はひたすらに努力を重ね続けています。

いざ、高校最後の大会に臨む行輝はしかし、1回戦にして前回大会ベスト4の実力者と当たることに。さすがに緊張を隠せない行輝へチームメイトが声をかけますが、そこに響いたのは海老原悠の「がんばらなくていいです」という言葉でした。

行輝の隠れた努力を知っている悠。彼女は行輝が立つコートに、何を見たのでしょうか。

葉山行輝と伊勢原学。いつも一緒にいる男子部員の2人ですが、先にバドミントンを始めたのは行輝でした。最初は彼が学に教える立場でしたが、この“生徒”はみるみるうちに頭角を現します。

「何をやっても、お前はすぐにできるようになったよな」。得てして顧問の先生も、そういう子に教えたがるものです。厳しい教育を受け、できる人はますますできるようになっていく。「どんくさい」ゆえにコツがなかなか掴めなかった行輝は、自分で自分を上達させていくしかありませんでした。

それでも、行輝はバドミントンをやり続けた。「諦めの悪さって才能」を武器に、行輝はコートで相手と、そして「どんくさい」自分と戦います。できるまで、勝つまでバドミントンをやり続けるのです。

「だけど、精いっぱいバドミントンしてる姿を見ると、何でか、私胸が苦しくて、辛くて」。行輝がすっかり日の暮れた公園で一人練習を重ねていることを知っていた悠。彼女が公園で、コートで見ていたのは、超えられない壁を前にあがく者の姿です。

できない自分、才能のない自分を受け入れる。できるようになるために努力を重ねる。試合という真剣勝負の場で、その成果を発揮する。すべて、現実と向き合って初めてできることです。そして、そこまでやっても才能に恵まれた者に勝てるとは限らない。それもまた、向き合わなくてはいけないリアルなのです。

悠はそのリアルと向き合えずにいました。「才能」を理由に持ち出し、自分を守り続けてきた悠。そんな後輩ができなかった“リアルとの戦い”を、行輝はコートで繰り広げています。ずっと目を逸らしてきたものが、目の前にある。だから悠は胸を締め付けられ、その現実を前に涙してしまうのです。

やっぱり、勝ってほしい。あんなにがんばっている姿をずっと見てきたから。

しかし、報われずとも抗う姿が人に与えるのは、悲壮感だけではありません。コートで戦う行輝に向かって、これまでで一番大きな声を出し、感情を顕にし、エールを送ったのは“戦友”の学でした。

「これで終わりって思ったけど、もう少しやりたくなった」。大学ではバドミントンをやらないと言っていた彼は翻意し、バドミントンを続けることに。残念ながら3回戦で負けてしまった学でしたが、行輝の姿に触発され、自分も壁に挑みたくなったのかもしれません。見るものがそう思える力を、エネルギーを、行輝の奮闘が与えたのです。

小学5年生からバドミントンをやっていながら、1学年下の選手に負けた悠と、先にバドミントンを始めながら、学に実力で追い抜かされてしまった行輝は“才能のない者同士”です。

それでも、行輝はバドミントンをやる。悠も同じでしょう。負けたからと言って、バドミントンをやめたいとは毛頭思わなかったはずです。才能はバドミントンをやるための“許可証”じゃない。「バドミントンが好き」だから、やる意味がある。リアルに打ちのめされ、それでもなおバドミントンを続ける行輝の姿に、悠は自分がバドミントンをやる意味を見出したのではないでしょうか。だから彼女は、行輝が「自分がバドミントンをやる意味を教えてくれる」と口にするのです。

最後の大会が終わっても、行輝は自主練習を続けます。だって、最後じゃないから。やる意味は、なくならない。

アニメ版「はねバド!」で描かれているのは、才能との戦い。それはリアルとの、そして自分との戦いでもあります。この勝負に負けまいと抗っているのは、泉理子や芹ヶ谷薫子、そして行輝だけではありません。次回、いよいよ北小町高校のキャプテンが、その才能を母に証明せんとする“才能の塊”羽咲綾乃に挑みます。

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