「無知の知」という言葉があります。哲学者ソクラテスの有名な言葉です。ソクラテスは知恵者を自認する人物と対話をした際、自分の知識が完全でないことを知っていることで、相手よりもわずかに優位であると気づきます。知らないということを知っているという強み。これが「無知の知」です。
さて今回は、「ラブライブ! School idoi diary」シリーズから小泉花陽について読み解いていきます。この1冊を通して、花陽自身がしょっちゅう口にする、“できない花陽”。一見、できないことが多いのは欠点のように見受けられますが、花陽自身は自分が色々とできないことを知っている。むしろこれは長所でもある。そんなことを書いていきます。言うなれば、“不可能の知” でしょうか。
花陽の基礎
花陽が、自分が他の子と違ってどんくさい子であることを自覚する……そんな過去が、3章で語られています。クラスのみんなとアイドルのダンスを真似することになった花陽。しかし、他の子は「テレビを普通に見ていればわかる」くらい簡単にダンスを再現できるのに、花陽は全然できません。
このことが、幼い花陽にひとつの現実を突きつけました。できそうと思っていたことができない。ましてや、自分以外の子が普通にできていることが。ある意味、花陽の基礎を作った出来事といえるかもしれません。
これは小学校の頃の話ということで語られていましたが、小学校の頃って、その場が「できる子の場」になりがちですよね。つまり、できる子が主役でできない子は隅っこに追いやられていくような……。僕も昔はサッカーができなかったので、大将2人がじゃんけんして自チームを選んでいくアレで最後まで残ったり、どっちにも選んでもらえなかったことがあるので、ちょっとわかるんです。
大きくなるにつれて、できないことができるようになっていったり、できるようになる方法を見つけたり、他に活躍できる場を見つけたりできるものですが、なにせ小学生にとって、その場は(特に校庭は)世界の大部分を占めるもの。そこで「できない」ことを自覚してしまうと、なかなか払拭することは難しいのかもしれません。とにかく花陽はこれ以来、何かをするためにはそれができないといけないという、ある意味矛盾した考えをもってしまいます。「できるようになる」という選択肢がなかったのですね。正確には「できるようになんてなれない」と思ってしまっていたのです。
その考えを覆したのが、花陽本人も語る通り、高坂穂乃果その人でした。
「普通の子」
「あのね、穂乃果ちゃんは、いつも自分のことを普通の子だって言います。」
確かに、穂乃果も花陽と同じく、スペシャルな特技があるわけではありません。その点で言えば本当に「普通の子」。花陽はそこにシンパシーを感じつつ、しかし決定的な違いも読み取っています。「自分の気持ちを何よりも大事にすること。大事にしていいんだっていうこと」。
ダンスができなかったのは、穂乃果も同じ。アニメの話を混ぜてしまいますが、1期1話ではターンの練習をして尻餅をつく穂乃果の姿が描写されています。でも、やっている。穂乃果の中には「できないならできるようになる」という選択肢がいつもあるのです。
「普通の子」という点では同じだけど、やりたいことへの推進力は段違い。そもそも花陽と比べなくても、穂乃果のそれは人一倍です。花陽は、その魅力に魅了された一人。似ているのに違う、尊敬する先輩です。ああなりたいと心から思える人なのではないでしょうか。
穂乃果のようになるにはどうすればいいのか。あとは、一歩踏み出すだけでした。本当にそれだけ。もう花陽はできないことに向き合っているからです。
逃げない女の子
運動ができないこと、言いたいことが後から出てくること、学校がなくなるけど自分が卒業するまでは続くことに安堵すること。これらはごくごく普通のことです。誰もが経験したり、自然にそう感じるだろうこと。花陽がそれをまた自分一人の問題に落とし込んでしまうのも、とてもティーンらしく、また人間らしくて好きなのですが、とにかく、言ってしまえば普通の反応です。でもこれらを、こういう自信のない子はことさら重く捉えてしまう。
それはつまり、きちんと向き合っているということです。
5章で、これまた小学生の頃に、交通博物館で走り回っていた凛が大人に捕まってしまうお話がでてきます。凛は目配せして花陽に逃げるように伝えますが、花陽はその場から逃げませんでした。それどころか、姉を装って涙を流しながら凛のことを助けます。
「だって――かよちんは逃げないから」と凛が言うとおり、花陽は逃げない子なのです。できないことに目を向けず、できることだけして悦に浸ることも人間はできます。でも、花陽はできないことに悩み続ける。できないということと戦っているからです。好きという気持ちや、やりたいという気持ちを、捨てずにずっと抱えていたからなんです。
あとは一歩踏み出すだけ。
この本では、花陽がμ’sに入るシーンは描かれていないのですが、彼女はこんなことを書いていました。
「自分で物を決めるのって怖いし――。
自分で決めたらきっと失敗するって思ってた。」
なので、人が決めたことについていっていたという花陽。しかし、またアニメの話を持ち出しますが、μ’sに入るときはこれが通用しなかった。頼みの凛は陸上部への入部を希望し、アイドルは似合わないからとアイドル研究部には入ろうとしません。自分で一歩踏み出すしかなかったのです。
その後どうなったかは、ご存知の通り。友人の力を借りながら、最後に花陽は自らの意志と勇気で一歩を踏み出しました。対峙することこそできていながら、そこまでに留まっていた花陽は、目の前の壁を乗り越えることを覚えたのです。
「普通の子」の弱さも、できないことから来る悩みも、身をもって知っていること。これこそが、誰かに共感し、寄り添うことのできる花陽の “特別な力” です。乗り越えることを覚えた花陽は、自身の成長とともにきっと、もっと周りの人を勇気づけられるスクールアイドルになることでしょう。