アニメを大量に見たって、いいことないよ。 – あにめもっ!
<http://d.hatena.ne.jp/bonzoku/20120524/1337865609>
何を「いい」とするかは人それぞれなので、実質答えはないことかもしれませんが……僕は「少なくした方が、いいことある」ですね。
僕もbonzokuさんと同じく、以前は大量消費していました。現在は、集中型に切り替わりつつあります。毎週追いついているのがスマイルプリキュアのみ。氷菓と坂道のアポロンはちゃんと観たいな。たまにレンタルDVDでシリーズを観る時は、現在放送している作品は一時お休み、という具合です。
数年前から、作られるアニメの量がだいぶ多くなってきました。しかしアニメ大量消費社会になったと感じるようになったのは、もう少し後です。
アニメが好きだからあれもこれも観ちゃうというのに加えて、共有して盛り上がれる仕組みが爆発的に増えました。ニコニコ動画での配信、なんJやTwitter実況……30分のお祭りに参加する意識が育まれたのです。この仕組みと意識が整備されたあたりから、アニメ大量消費社会に移ったと思っています。
共有する楽しさは、そこから外れた時の疎外感をも生みます。
まとめブログによる、ネット上での盛り上がりの可視化。ブログの早い更新に、すぐに観ないと追いつけません。Twitterでも、早く観た人は早く発信します。お祭りに参加できていない焦りも、少なからず生じるでしょう。
加えて、仲間内で語る上で自然と形成される序列。より多くの本数のアニメを観て「すごい」と思われたい気持ちが、特に男性にはもしかするとあるかもしれません。
余談ですが、Amazonの売上による「覇権」などというムダな称号って何なのですかね……あまり知性を感じない煽りでキライです。
閑話休題して、しかし30分はバカにできない時間です。それを何本も繰り返していたら、インプット過多になっちゃいます。僕もそうなった一人です。インプットしたものを吟味する時間もないから、アウトプットも粗雑になっていきます。どんなアウトプットになるかは、まとめブログのタイトルを見れば一目瞭然ですねw(それで事足りるアニメは別ですが。)
アニメはキャラクターの属性だけでないのはもちろん、1話1話だけでもなく、1クール2クールの全体での見方もできるものです。たとえ「ギャグマンガ日和」のような作品でも、1クール全体であのテイストをやり切れたかなどの視点もあってしかるべきでしょう。キャラクター単位、1話単位で語ることは悪くありませんが、最近はそればかりなされている印象が強いです。それはもったいない。
インプット量を適切にすれば、ちゃんと話を覚えていられます。1話単位でも全体ででも語ることができるし、他の作品と比べることだってできます。それは本当にオタクらしいオタクだと思いますし、アニメの引き出しが増えるとはそういうことです。
上辺や数字でしか語れないオタクはかっこ悪い。僕はもうちょっとかっこいいオタクになりたい。