1話から強い芳香をプンプンと放っていた、矢澤にこ、津島善子の系譜を継ぐ(?)者がついに表舞台へ。物語の燃料になる点、強気で我が強い点もそうなんですが、挫折を味わっているところも先代二人と同様です。
子役として「ショウビジネス」の世界に飛び込んだ平安名すみれ。性格にもよると思いますが、幼い子が主役に憧れるのは自然なことでしょう。しかし、オーディションを何度受けても叶わず、「どんなにがんばっても、最後はどうでもいい脇役」に収まってしまう。すみれにとって、主役は手が届くように見えて届かない“憧れ”なんですね。
そんな彼女が可能性を見出したのが、スクールアイドルでした。
不純な動機なんてない
サニーパッションのフォロワー数に目がくらんでいたように、すみれの目的は有名になること、フォロワーをたくさん集めること。ショウビジネスの世界で鍛えたダンスや歌をもってすれば、たとえ優勝チーム相手でも劣っていないと判断し、すみれはスクールアイドル部の門を叩きます。ここらへん、ビジネスの世界にいた子らしい打算が感じられて好きです。
ちょっと話が結末に飛んじゃうんですが、すみれってこの動機は最後まで変わらないままスクールアイドル部に入るんですよね。センター=一番目立つ、有名な存在になりたい。別に心底スクールアイドルがやりたいわけじゃないんです。
そんな動機でも……と思うかもしれませんが、これもまた立派な動機であり、やりたいことである、というのがこのエピソードのポイントです。
動機、あるいは夢と呼ばれるものは、決してキレイなモノだけではないんと思うんです。これだけ個人の有名度がフォロワー数やシェア数、再生数で可視化され、比較できる現代では、有名になること自体を夢にする人だってたくさんいる。その動機自体に(法律に反したり迷惑をかけなければ)優劣はないんです。それよりも始めること、なりたい姿に向かって諦めないことが大事だとこの物語は伝えているのではないでしょうか。
有名になりたいという動機で、スクールアイドルを始めちゃいけないなんてことはないんですよね。
平安名すみれのプライド
さて、意気揚々とスクールアイドル部に乗り込んだすみれでしたが、生徒によるセンター投票では澁谷かのんが圧勝し、すみれの得票数はまさかのゼロ。歌とダンスを披露するアピールタイムを見せての客観的な結果です。
ここなら勝てると踏んだ勝負で惨敗。スクールアイドルですら主役になれなかったことで、これはもう運命なのだ、自分はスポットライトど真ん中で輝くことはできないのだとすみれは悟ります。
スクールアイドルを見下しているというよりは、プライドがあるのだと受け止めるところです。幼少のころから、すみれはTVの世界で同世代としのぎを削ってきた。主役にはなれずとも、いくつかの番組に出続けており、しぶとく生き残ってきたことが回想から伺えます。
また、彼女には生き残るに見合うだけの歌とダンスの能力もある。ダンスをやっていた知人に聞くと、振り付け動画を見てパッと自分で踊れる人はやっぱりうまいんだそうです。歌に関しても、完全にコミカルシーンだったかのんの記憶を飛ばす儀式で、やたらいい声でダイオウグソクムシの歌を歌っていますよね(さり気なく彼女の歌がうまいことを示唆しているのが芸コマです)。
だからこそ、それでも選ばれなかったことがすみれの心に重くのしかかります。小さいころから努力して、歌もダンスの実力もつけてきた。これだけ積み上げても、がんばっても手に入らないのなら、もうそれは最初から手に入りようがないものだったと考えるしかない。
諦めとも言えるのですが、これは“自分を守る最後の手段”なのではないでしょうか。
積み重ねてきたものは単なる技術ではなく、自分自身。だからプライドとなる。それを否定されるのは非常に辛いことです。でも、自分だけは否定しちゃいけない。否定できないだけかもしれないけれど、私はむしろ否定しないでほしいなって思うんです。
「歌もダンスも抜群にうまい平安名すみれ」は、すみれ自身が努力を重ねて作り上げてきた「平安名すみれ」。どれだけ客観的な事実を突きつけられようとも、すみれがすみれを作り上げてきたことに変わりはありません。だから、割り切る方法として「運命」と考えることはすごく自然なんじゃないかと思うんです。
だからこそ、です。自分自身で積み重ね、作り上げてきたゆえに、かのんや唐可可の前では諦めるようなことを言いながら、雨の日だろうと何だろうと、結ヶ丘イチ諦めの悪い女は原宿の街を歩き回っている。最後の一押しとなるツキを掴むための努力を惜しまずに続けている。それこそ本人は否定するかもしれませんが、すみれってむちゃくちゃ“努力の人”なんですよ。
お前が必要平安名すみれ
自分が晴れ舞台のど真ん中に立てないのはもはや運命である――そう見定めたすみれの気持ちを一番理解できるのが、同じくらい諦めの悪い女・澁谷かのんでした。
彼女も、どんなにがんばっても変えられなかったことを抱えて生きてきた。もう無理なんだと思ってはトライしてきた。だから、すみれの中に諦観とあきらめないキモチが同居しているのをわかっているし、何ならすみれがいる場所だって把握できる。
ではすみれに対してどんなアプローチをしたかというと、可可にされたのと同じことをした。すなわち、あなたが必要だと言い続けたのですね。
可可は、事あるごとに「自分の夢にはかのんが欠かせないと」言ってきた。かのんもまた、自分たちがスクールアイドルとしてステップアップするためにすみれが必要なんだと訴えた。かのんの力を活かす場所を可可が作ったように、すみれが積み重ねてきたものを発揮する場所をかのんが作ったわけです。
かのんとステージに立つことが可可の夢になり、かのんからセンターを奪うことがすみれの夢になる。自分から中央に躍り出るタイプじゃないのに、いつの間にかいろんな人からベクトルを向けられているのが本当に不思議です。もしかすると今回の主人公は、みんなの夢になるような存在なのかもしれません。
と、かのんの話で終わっちゃいそうになったので、最後にすみれの好きなところをひとつだけ。あの子、言うて本当はむちゃくちゃ優しいですよね。駅の方角を聞いてきた人に悪態をつきながらもちゃんと教えているし、神社でかのんを解放したあとに飲み物を渡している。こういう隠しきれない優しさにグッときちゃうなぁ。
「センターが欲しかったら、奪いに来てよ!」
虹学の時に「それぞれの高みは違うのだから奪い合う物ではない」などと言う感想をドヤ顔で書いたのに「 “私” を叶える物語」を標榜するSSでいきなりの奪取戦開始宣言が提示されてしまいましたw 流石、俺たちの花田先生。
ただ、すみれが力を持っているのは確かな事で、話の中盤でかのんがセンターを譲ろうと話していたのも実力を認めればこその発言だったのかもしれないなと思ったりもします。
思うに、その実力は天に与えられた物ではなく努力によって積み重ねられたもの。そして常に精進を怠らなかった証なのでしょう(ゆえに、儀式の合間に歌われたグソクムシの歌は、動画に残る幼少期より遥かに上手くなっている)。ホント、真面目で愚直でイイ子なんですよね。ネタっぽく挿入された儀式にしても、最初は気絶してしまったかのんを雨に濡らさないように運んでくれてたんじゃないのかな?なんて思っています。で、運んだ後に「あ、これ(グソクムシの件)、学校で言いふらされたらヤバいやつじゃね?」って思って儀式を始めちゃったんじゃないかな?って。
「私ね、小さい頃からずっと、色んなオーディション受けてたの」
このセリフを耳にした時、以前聴いた小宮有紗氏のトークを思い出しました。
同席していた降幡愛氏のAqoursオーディションで感極まって泣いてしまった話題が出た時に、「え?泣かないの?」と言う問い掛けに対して「泣いた事無いですよ。いっぱいオーディション受けた事あるけど」とボソッと答えたのが印象的でした。ほぼデビュー作のゴーバスターズで主役を演じて以来、芸能界の動きに疎い自分でも常に目に入るほどドラマにCMにグラビアにと順風満帆な活動を続けていたように思えていた彼女でしたが、 “いっぱい” のオーディションを受け、恐らくは多くの落選を経験しているのだと改めて気づいた次第。自分なぞ選抜試験の類は受験と就職くらいなもので、プロフェッショナルな競い合いを続ける彼女らの行動は素直な尊敬の対象であります。
かのんがすみれのことを純粋にリスペクトしていたのは間違いないですね。
自分たちが苦労したダンスをいとも簡単に再現するなんて、ぐうの音も出ないほど「すげぇ!」ってなるでしょうし、
だからこそ、すみれならできるという思いもあって「奪いに来てよ」という言葉が出たのかもしれませんね。
本文にも書きましたが、すみれはホントにいいヤツですよね〜。多分、本人が思っている以上に愛されるタイプです。笑
小宮さん、キャリア的に当初はやっぱり女優を目指していたんじゃないかなと推測するのですが、
それはもう数え切れないほどオーディションを受けるものなんでしょうね……それこそ、合否に一喜一憂していられないのかもしれませんし、
たとえ受かったとしても「いかに次に繋ぐか」を考えたりするものなのかもしれない。そう考えると、リアル・フィクション問わず、厳しい世界に身を置く人には敬意を払わずにはいられませんね。