まー、仕事でもありますよね。言われた通りにやっている人と、自ら率先してやっている人から感じる熱量はやっぱり違う。全部後者ならすばらしいのですが、とはいえそんな簡単な話ではねーんだよというのは、僕も感じているところです(ええ、毎日)。
代々木フェスで初出場ながら新人特別賞という結果を残したクーカー。前途洋々な二人に目をつけたのが、東京都代表スクールアイドル・サニーパッションでした。唐可可が神と崇める二人は、クーカーの魅力が“本物”かどうか確かめに来たのです。
意図があるかどうかで、見え方は異なる
故郷である島でのライブに勧誘され、さらには合同練習も行うなど、可可からすると鼻血モノだったであろうサニーパッションからの急接近。その理由を、東京都代表はこう語りました。
「どこか自分たちで動いている感じがしない。特にダンスは」
クーカーの魅力を認めながらも、力強さを感じないという。だから確かめようと声をかけた。
マイルドな言葉を使っていますが、要するに嵐千砂都の言う通りにしかやっていないということです。もちろん、澁谷かのんも可可もダンスに関しては門外漢なので仕方ありません。でもそれでは、言われた通りにやっているダンスにしかならない。
何でもそうだと思うのですが、意図を持ってやっているかどうかで、輝きって変わります。「なぜそれをやるのか」という意識があるだけで、自分がやっていることへの解像度が一気に高まり、質も上がるというもの。
ダンスも同じだと思うんですね。この振り付けで何を表現したいのか、何を伝えたいのか、その意図を持つだけで、見ている人への印象はガラリと変わるのではないでしょうか。それがサニーパッションの言う「力強さ」だと思うのです。
では、その点も汲んでいるであろう千砂都を仲間にすれば解決するのでしょうか?
千砂都はなぜダンスをやるのか
おそらく、そういう話ではないと思います。
たとえ千砂都がスクールアイドル部に加入したとしても、彼女にスクールアイドルをやりたいという意志がなければ、ダンスどころかスクールアイドル活動そのものに力強さがなくなってしまう。そもそも、千砂都にはその気はないようですし。
となると、フォーカスする点はひとつ。なぜ千砂都はダンスをやるのか、ですよね。
きっかけが、本エピソードの最後に語られています。「かのんちゃんができないことをできるようになる」という幼い千砂都。かのんの歌のように、大好きで夢中になれるものを持てるようになりたい。
幼い千砂都のまっすぐな言葉からは、かのんへの憧れが伝わってきます。小さいころから歌の才能を発揮してきたかのんを純粋に「すごい!」と思っただろうし、歌が大好きで夢中になっているかのんの姿そのものが輝いて見えたはず。
と同時に、「かのんちゃんができないことをできるようになる」という言葉には、かのんの隣に立ちたい、対等でいられる存在になりたいという思いが秘められているのではないでしょうか。その手段として、千砂都はダンスを始めた。
これ以上は考えすぎかもしれませんが、そうやって始めたダンスが、果たして千砂都にとって「大好きで夢中になれるもの」になっているのだろうか、とも思うのです。まー、大好きで夢中に ならなければあんなに上手くはならないと思いますが、ダンスそのものへの思いは、まだ口にしていないはずなんです。
それ次第で、退学届の受け止め方も変わります。スクールアイドル部のために学校までやめるのは極端ですが、自分のダンスを見直した結果という線もある。千砂都がダンスを始めたきっかけはかのん、つまり外的要因なんです。そこに「力強さ」があるのかどうか。
スクールアイドル部にとっての嵐千砂都
急に自分の話をして申し訳ないのですが、実は今年に入って作詞を始めました。作詞も然り、こうして記事を書くこともそうなのですが、言葉を書くというのは対象に深く潜っていく作業だなと感じます。
千砂都が別行動になったことがきっかけになったのか、彼女のことを詞にしようと思いついたかのん。しかしいざ考えてみると、スクールアイドル部にとっての千砂都がわからない。
スクールアイドル部の練習に長時間付き合ってくれているけど、メンバーではない。なぜそこまでやってくれるのだろう?というのが、かのんの疑問なのだと思います。思いを思いで返すのがかのんですから、そこにある千砂都の思い、すなわちなぜスクールアイドル部をそこまでサポートしてくれるのかがわからなければ、なかなか形にしにくいのかもしれません。潜れないんですよね。
千砂都はおそらく自分のことを雄弁に語るタイプではないでしょう。他人と適度な距離感を保ちつつ、踏み込まないし、踏み込ませない。そしてそういう人こそ、ぐつぐつとたぎる思いを抱えているものです。彼女の内側には、どんな思いが秘められているのでしょうか。
>もうすぐラブライブ!のエントリが始まる
>島(田舎の地元)を盛り上げる目的があるライブ
>大会ではないから順位はつけない
綺麗に過去作を匂わせて来ましたね。それを踏まえた上での四作目の展開が楽しみです。
>この “三人” が練習できれば良いんだから
>参加は(決まってる)、…千ぃちゃんも良いよね
>あ、千ぃちゃん “は” ここで待ってて
> “みんなと千ぃちゃん” の事とか(歌詞に)書こうかと思ってるんだけど
構図的に一人だけ離れていたりとか、旅立ちの日に皆私服でいるのに一人だけ制服でいたりとか、結構ガッツリと「3+1である」と説明して来ていて、千ぃちゃんの宙ぶらりんな立場が浮彫りになって、ちょっと寂しそう。
ガッツリ説明と言えば、今作はかなりキーワードを押し出して進む脚本な気がします。
第一話の「似合ってる」とか、第四話の「見~た~な~ぁ」とか。同じ言葉でありながらニュアンスの違う場面を重ねて行く作劇は好みです。
あと一つ気になっている事があります。
主人公達が話を進めている背景で、象徴的に蝶が舞っている事。
移ろいやすく不安定で未だ止まるべき場所が見つけられない彼女らの心情を表わしている事は分かるのですが、落ち着いて留まれるのは何時なのか・何処なのか。
>構図的に一人だけ離れていたりとか、旅立ちの日に皆私服でいるのに一人だけ制服でいたりとか
スパスタは特に脚本で説明しないぶん、描写で表現することが多いように感じますね〜。
やっていることは完全にメンバーですが、メンバーじゃないよ、というところは強調したかったのかもしれません。
それに通じる話として、蝶も挙げられそうですね。物語の象徴的なメタファーとして、最終的にどんな動きをするんでしょうね。
キーワードの観点は自分の中になかったですねぇ、ちょっと気をつけて見てみます!