放送されてから2週間も経ってしまいました……いえ、その間なにもしていなかったわけではなく、問題なく進めばポートフォリオに載せられそうなお仕事をしていました。いずれTwitterでこっそりお知らせしたいと思います。
虹ヶ咲の感想でたびたび「スクールアイドルはみんなの大好きを受け入れてくれる場所」と書いていました。コンプレックスがある人も、スクールアイドルという場なら輝ける。これはシリーズを通して描かれてきたことです。お味噌汁みたいなもので、スクールアイドルは何でも受け入れてくれるんですよね。
「1話の最後ってホントに歌ってたんだ!?」と驚いた2話の冒頭。澁谷かのんはスクールアイドルに救われた、というのは言い過ぎ(まだその段階ではない)ですが、きっかけを与えられたのは間違いありません。2話も、この子を起点に考えていくのが良さそうです。
義理人情の女
スクールアイドルというきっかけを得て、歌えない自分を一度は振り切ることができたかのん。同時に、スクールアイドルならちゃんと人前で歌える可能性を手に入れました(本当に人前で歌えるようになったのかは、代々木フェスで明らかになるでしょう)。
スクールアイドルというきっかけをかのんに与えてくれたのは唐可可です。はっきりと言わないまでも、かのんはそれをわかっている。だから彼女は可可の夢を助けようとします。
他の部で活動することを提案されるも、すぐに却下するかのん。葉月恋が好き勝手できるようになるのは許せないのと同時に、スクールアイドルでなければ「かのんさんと一緒にスクールアイドルがしたい」という可可の夢は叶わないからです。まさに義理人情の女。筋が通らないことは絶対に許せないし、これと決めた人のためなら義理を貫き通します。
自分の性質によってフタをされていた「好き」という思いが開放されたぶん、かのんは可可の超特急な情熱についていけるくらいたくましくなりました。本当は歌いたいというかのんの気持ちを後押しした可可と、留学生がスクールアイドルをやれるように助力するかのん。好きなことが違っても、助け合えるんですよね。
かのんが好きなのはスクールアイドルではない
かのんが大切にしているのは誰かの「好き」であって、スクールアイドルではないんです(もちろん「まだ」と付けても良いと思いますが)。
それは、可可が嵐千砂都に勧誘した際に、可可をたしなめたことからもわかります。ましてや、相手は自分が叶わなかった音楽科への入学を果たした幼なじみ。ダンスが好きなのは十分すぎるほどわかっているから、その道を貫いてもらいたい思いがあるはずです。
かのんが他者の思いを尊重する姿は、楽曲制作を始めるシーンにも表れています。可可から歌詞ノートを受け取ったかのんは、ただの歌詞ではなく、可可の思いの結晶と捉えているんですよね。

体力がゼロでも、ダンスが踊れなくても、「スクールアイドルに一番大事なのはキモチ」と目をギラつかせて、ヘロヘロになりながら走る可可。その可可から歌詞ノートを通じて「あきらめないキモチ」を受け取ったかのん。1話では手を伸ばせなかったギターを手に、かのんは可可の思いを形にしようと奮闘します。

高校受験に失敗し、「終わったって思ってた」かのんが一番抱きたかったのは、「あきらめないキモチ」だったんじゃないでしょうか。それを可可から手渡されたとき「次の私が始まった」。好きなものは違うけど、お互いに好きを貫くことで生まれた「あきらめないキモチ」で、国籍もバックボーンも異なる二人が結ばれた時、夜が明けるのです。

「できない」を分かち合うレジスタンスたち
頭上から降り注ぐ音楽科の歌声に触発され、練習を終えたはずのかのんはもう一度走り出します。身分の差のようなものがチラつく学び舎の中で、気持ちを武器にレジスタンスとなっていく。でも、最終的に2つの制服が交わるのが明示されているから、見ている方はどこか安心できるんですよね。これまでの「ラブライブ!」と同じく、プロセスを楽しむところです。
プロセスといえば、かのんと可可の練習は、最初から必ず誰かしらが見ています。当然、二人はダンスがうまいわけではなく、可可に至っては立ってすらいませんでしたが、できないことを見せるのは悪いことじゃない。見られているのではなく、誰かが必ず見てくれている。そういう希望を描いているアニメだと思っています。

できないことがあるから、「あきらめる」「あきらめない」の話になります。そこで「できない」を分かち合い、「大好き」を共有し、「あきらめないキモチ」をつなげることで、乗り越えていく。「ラブライブ!」らしい、前向きさにあふれたメッセージが、この2話に込められているのです。
お久しぶりです。拓ちゃんです。
今回もまたばかいぬさんの考察を楽しみに、Lierra!のアニメでの活躍を追いかけていきたいと思っています。
第2話の考察でふと目を留めたのは以下の2点。
・かのんが大切にしているのは誰かの「好き」であって、スクールアイドルではないんです(もちろん「まだ」と付けても良いと思いますが)。
・「終わったって思ってた」かのんが一番抱きたかったのは、「あきらめないキモチ」だったんじゃないでしょうか。
流れやシチュエーションが異なっているものの、この2点というのは「ラブライブ!」での「西木野真姫」とダブって見えました。
医学部へ進むことが決まっているから、「私の音楽はもう終っている…ってワケ」と、音楽を諦めようとしていた姿を見せながら、スクールアイドルが好きで、スクールアイドルになりたい気持ちを燻らせている小泉花陽を応援しようとしていたのは、モロ1話のかのんと一緒だったかと。
夢破れて─ということであれば、桜内梨子もそうだったし、友達の背を押すということであれば、星空凛もそうですが、より近い存在は、やはり西木野真姫ではないか、と。
そんな風に見てたら、花陽の背中を押し、凛と一緒に誘われたあの日の夜、真姫ちゃんも浮かれて自分の好きなものを並べて歌っていたのかもしれないなー……とww
>拓ちゃんさん
ご無沙汰しています! といっても、Twitterでお見かけしているのであまりご無沙汰感はないのですがw
「スーパースター!!」でもブログに来てくださり、ありがとうございます!
なるほどですねぇ、言われてみて確かに真姫と同じような背景、ポジションだなと気付かされました。
もう決まってしまった、と思い込んでいた未来を自分の意志で変えようとする点で、真姫とかのんは通じるところがありますね。
やっぱり、僕らもそうですが、結果はどうあれ「決められた」と思うことより「決めた」と思うことの方がテンション上がりますよね。
そう考えると、自分で進む道を決めた真姫も、おっしゃるとおりこっそり歌っていたかもしれないですねw
同じメロディを重ねて曲とする “canon(Kanon)” を名前とする彼女が
「スクールアイドルと言う場なら歌える」と言う。
そう言えば、作品世界で映り込む他のスクールアイドルは、皆グループ。
独唱を意味する妹の名 “aria” との対比。あるいは、虹ヶ咲との対比。
本作に於いては “グループ” である事が大切なのかもしれません。
音楽用語のカノンが「同じメロディを “別々のタイミングで始めて” 重ねる」であるからして、「同じメロディを重ねる」より「別のタイミングで始まってもハーモニーを醸し出す」方が大事なのかも。 “グループである” 事より “グループになる” “グループを形成するプロセス” が重要なのかな?とか考えています。
EDでメンバーが徐々に集まって来る所なんか、それっぽいんじゃないかな?なんて。
グループになっていくプロセスは、過去作品の1期でも特に重点的に描いていたように感じますね。
シリーズで唯一ソロアイドルを描いた虹ヶ咲を見て、京極監督がどんな影響を受けたのか(あるいはまったく受けていないのか)気になります。
9人ではなく5人だと、メンバーに加わっていくプロセスがかなり丁寧に描けそうですよね〜。