前回、3年生の自立が見えたと書いたのですが、ひとつ引っかかっていたところがあったんです。小原鞠莉が進路として選んだ「パパが勧めるイタリアの大学」。勧められたものなので、最終決定は自分で下したと思うのですが、ああいう展開だった割にはちょっと主体性が弱かったように思ったのです。
今回、その答えが見えたような気がしました。鞠莉は、強い責任を感じていたのではないでしょうか。
ポイントになるのは、閉校祭です。「ラブライブ!サンシャイン!!」初期を感じさせるものが多々散りばめられていたのは、皆さんも感じたところではないでしょうか。生徒会長モードを見せる黒澤ダイヤ、「寿太郎みかん」のダンボールに乗る渡辺曜。ダイヤのラブライブクイズも然り。
一方で、あの頃から明らかに変わったところもたくさん描かれています。閉校祭を作り上げるため、みんなにやりたいことをやらせるダイヤ。しいたけが大丈夫になった桜内梨子。スクールアイドル勧誘の呼びかけに応じる人の存在。姉とスクールアイドルを満喫する黒澤ルビィ。学校内で堂々と黒魔術占いを展開する津島善子。
誰もが、やりたいことをやって輝いている。これまでのように高海千歌のところに誰かが来るのではなく、千歌が誰かのところに行っているのがその証左です。準備も含めて、各々がやりたいことをやっているから、誰かの力を借りずとも輝くことができている。これが、Aqoursが作り上げてきた浦ノ星女学院という世界です。
理事長にとって生徒たちの輝く姿は、心からうれしく思えるものだったでしょう。「本当、この学校って良い生徒ばっかりだよね」という言葉には、学校を取りまとめる者の実感が込められています。僕らはつい、鞠莉のことをスクールアイドルの一人として見てしまいますが、彼女は立派な理事長なんですよね。
ゆえに、自分の代で学校が統廃合になってしまう責任は、一介の生徒以上に感じている。閉校祭を承認したり、準備のために残る生徒を全員家まで送り届けると決めたりしたのは、せめてもの償いだったのかもしれません。であれば、統廃合先での理事就任を断るのも自然なこと。一流ホテルをもつ父親の勧める大学で、何かを学ぼうとしているのでしょうか。
この閉校祭を通して鞠莉は、この学校がどれだけ愛されていたか、どれだけ大切だったかを知ったと言います。だからこそ、理事長である自分が潰してしまった責任を強く感じている。生徒にとって、地域のみんなにとって大切なものを、自分が失くしてしまった。悔恨、懺悔の念が、彼女に「ごめんなさい」と言わせるのです。
そんな鞠莉の顔をもう一度上げさせたのが、“Aqoursコール”でした。
Aqoursは、浦女生にとって「希望」です。ラブライブ全国大会という大舞台で学校の名を残せるかもしれない、唯一の希望。そして、「Aqoursは希望だ」と思えるのは、Aqoursでない人たちなんです。だから、Aqoursじゃない人からAqoursコールが生まれる。
浦ノ星女学院のスクールアイドルはずっと、「時が過ぎゆくリアル」と戦ってきました。負けもしました。でも、彼女たちのメンタリティは「どうなるかわからない明日の方がちょっぴり楽しみでもあって」「二度と同じ時がないから、この時が楽しいって思える」。終わりというリアルは絶対に来るけれど、明日という希望も一緒にやってくることを知っている。その希望に向かって歩くから、笑顔になれる。
「時が過ぎる」ということは非情です。あと少し待てたら廃校は免れたかもしれない。けれど、時は止まってはくれない。そんな理不尽の中で彼女たちが導き出した答えが、「それでも明日に希望を抱き」「二度とない今を思い切り楽しむ」ことでした。スクールアイドルの原点「今が最高」に、付け加えられたAqoursらしさ。それが「明日に希望を抱く」ということ。そんなAqoursらしさを鞠莉は、Aqoursコールで取り戻したのでしょう。
でも、やっぱり鞠莉が謝ることはないと思うのです。だって、彼女が浦ノ星女学院を“延命”しなければ、全校生徒たちの希望となる9人は生まれなかった。最後に希望を残したのは他でもない、この若き理事長なのですから。
20日の静岡新聞に全面広告が出たそうです。
絵柄はEDの手繋ぎシルエット、砂に書いたAqours の文字は、11話の通り波に消えている。
そしてキャッチコピーは
「憧れの舞台に行ってきます。
浦の星女学院の名前を刻みに。」
改めて思います。サンシャインは “Aqours の物語” では無かったのだと。
一期13話の寸劇でも、「私達」は “Aqours” ではなく “内浦にある小さな小さな学校で始めたスクールアイドル” でありました。
千歌が「私の輝きを見つけたい」と始めた事が、曜を呼び、梨子が加わり、一年三年を引き寄せ、家族・学校・町を巻き込んでいく。そんな、”小さな焔が次第に周りに移って行く” 話だと思っていました。
でも、その小さな情熱は、千歌だけが持っていたものではなく、誰の胸にも燈されていた灯。まだ見えなかった炎。
誰もが持っている小さな光が各々輝くことによって、大きな輝きとなる話だったのだなと。
自分だけの光に気づく切掛が、(主人公からの拡散ではなく)丸がルビィを・ルビィが理亞を・浦女生徒がAqoursをと、内に外に縦横無尽に広がった関係性を持っている。それこそが「皆で叶える物語」を体現していたのだなと。
>椿さん
「サンシャイン!!」は特にそんな物語の傾向が強い気がしますね。
きっとスクールアイドルという存在は色んな人、色んな空間に飛んでいく存在で、
そうなっていくようにしたのがパイオニア、そうなっていったのがAqours、という感じがします。
「μ’sにあこがれて始まった、いちスクールアイドルの物語」というスタンスは、
アニメの1期1話から変わっていないのかもしれませんね。
前回はコメント出来なくて残念でした。
タイトルが聖闘士☆星矢かっ!って突っ込みたかったのに(違ってたらハズいな 笑)
まさか閉校祭なるイベントが描かれるとは思ってもいませんでした。
書かれている通り、いろいろな場所に1期と比較して、
あの時から時間が経った(成長した)ことを思わせる仕掛けが点在していましたね。
一度立ち止まって振り返る回、というのもラブライブでは珍しいのではないでしょうか。
ようちか推しの私はもちろん、校門でのやりとりに目頭を熱くしました。
私は、鞠莉が最後に謝罪するシーンは、
彼女が自分の気持ちにけじめをつけて、前へ進むために必要な儀式だったのかな、と。
あの機会がなかったら、鞠莉は心に溜めた後悔を吐き出すことなく日本を発っていたかもしれません。
鞠莉が悪いわけじゃないことは皆が知っているけれども、鞠莉はそれで良しとはしないでしょうし。
言わずとも伝わるけど、それをちゃんと「言葉」で行うことに意味がある。
歌(言葉)の持つ力を信じて進む姿を描くこの世界だからこそ。
「今が最高」だからこの瞬間がずっと続けばいいのに、と思ってしまうのは仕方のないこと。
でもそれは「もっと楽しいことが起こるかもしれない明日」という可能性を捨ててしまうことで。
明日がどうなるか分からないから「今が最高」の瞬間を目一杯全力で楽しんで、笑って明日に進む。
つまりはそういうことなんですね。
それを総括して、ばかいぬさんの『明日に希望を抱く』という表現はとても素敵です。
いよいよAqoursの物語も(とりあえずの)終焉へと向かっていますね。
来て欲しくはないけど、時は進んでいってしまうのでまもなく放送されてしまうんですね(笑)
耐えられるか心配ですが、しっかり心に焼き付けようと思います。
>たくみさん
ああ、鞠莉のけじめのためのシーンって良い捉え方ですね!
確かに、ああいうところでないと鞠莉が謝れる場所ってなかったかも。
自分で表現するからこそ、ケリをつけられるところってありますもんね。
そんな謝罪も、今までやってきたことも、両方受け入れてもらえて、
良い仲間を持ったなぁと思います。
そうそう、明日には可能性があって、悪くなるかもしれないんだけど、
もっと楽しいことが起こるかもしれない。そしてその可能性が
訪れた瞬間が今だから、そりゃあ楽しむしかないよねと!
それが「明日に希望を抱く」ってことですかね。お褒めいただけてうれしいです(ノ´∀`*)
どんなフィナーレを迎えるんだろうと、ドキドキでもあり楽しみでもあり……。
ひとまず12話の記事を書かなくてはと焦っています。笑