アニメ2期感想

君は松浦果南の圧倒的成長を見たか―「ラブライブ!サンシャイン!!」第10話感想

このエピソードの前提になるのは、SaintSnowとの練習……の前、鹿角姉妹に浦ノ星女学院の廃校を説明するシーンです。部外者からすると随分と重たい話なのですが、Aqoursのメンバーはみんな軽やかな口ぶり。それというのも、優勝してラブライブの歴史に学校の名を残すという、新しい目標を見据えているからです。

このブログで何度か書いてきましたが、僕はこれが「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語の大きなテーマだと思っています。すなわち、何かが叶わなくても次の目標を見つけて走り出すこと。それが、Aqoursというスクールアイドルの生き方なんですよね。

 

このお話でポイントになるのは、3年生の3人です。イタリアの大学に行くことが決まった小原鞠莉を皮切りに、黒澤ダイヤが東京の大学へ、松浦果南はダイビングインストラクターの資格を取るために海外へ行くことが明らかになります。この内浦で一緒にいることは、しばらくない。帰ってくれば、誰かがいるわけでもない。

3人とも「相変わらず」お互いに相談せずに進路を決めていますが、この子たちはこれで良いのです。この3人は、ずっと誰かが帰ってこれる場所を守ってきました。鞠莉が帰れる場所をダイヤが守り、果南が帰れる場所を鞠莉が守ってきた。果南は帰ってこれる場所ではないものの、鞠莉の将来を守ろうとしてきました。

でも、それももう終わる。これからは、自分のために前へ進むのです。誰かのために何かを守るのは、もっと大人になってからでいい。8話、9話で1年生たちの自立が描かれてきましたが、今回は3年生の自立した姿が垣間見えた気がします。

その3人の中で、鞠莉が一人抱えていた思いがありました。小さな頃、星に願おうとした「ずっと一緒にいられますように」。幼い3人はこの願いを星に届けようと大冒険を繰り広げますが、雨雲に邪魔されてしまいました。

今、ゆく先を共有した3人を、再び雨雲が包み込みます。そりゃあ、ここで満天の星空が見えたらかけがえのない思い出になりますが、現実はそうはいきません。星が見えないどころか、3人とも別々の進路を行く。それがリアル。だから、仕方のないこと――。

と、鞠莉は考えていたかもしれません。でも、そんな鞠莉をもう一度叩き起こしたのが、他でもない果南でした。

「これで、終わりでいいの?」
「このまま、あの時と同じで、流れ星にお祈りできなくていいの?」
「今はもう3人じゃない。探しに行こうよ、私たちだけの星を」

これを果南が言えることに意味があります。浦ノ星女学院での果南は、行き詰まると撤退を繰り返してきました。鞠莉の将来が大事だから、スクールアイドルから身を引く。高海千歌が必殺パフォーマンスを練習することに反対する。果南はずっと、可能性で人を傷つけることを嫌ってきたのです。

「届かないものに手を伸ばそうとして、そのせいで誰かを傷つけて」と話していた果南が、「私たちだけの星」を探しに行こうと鞠莉の背中を押す。「3人いれば何でもできるって思ってたんでしょ? だったらやってみなきゃ」と可能性を追っている。すごく良い変化ですよね。

果南はもともと、こういう素質を持っていました。海に飛び込むのを怖がる千歌に対し「ここでやめたら後悔するよ、絶対できるから」と勇気づけ、今回の冒頭のシーンでも、星が見えない中で機転を利かせながら鞠莉を励ましていました。さまざまな経験を経て、この素質をもう一度自分の引き出しにすることができたのは、紛れもなく果南の成長です。

そして、自分たちだけの星=シャイニーを探しに行こうと思えたのも、心から信頼できる9人の大事な仲間がいるからです。

このエピソードの序盤と終盤で対比になっているのが――子供と高校生の違いがあるとはいえ――3人でできなかったことが9人でできたということ。個人的には3年生3人で何かを成し遂げてほしいなと思わずにはいられないのですが、彼女たちの卒業が近づくにつれて強調されているのが、「この9人がAqours」ということです。

3人でできなかったことも、9人ならできるかもしれない。一緒に挑戦しよう、前に進もうと思える仲間や後輩ができたことが、3年生たちにとって一番大きな宝物なのではないでしょうか。だから、クルマも空を飛ぶ。流れ星に願うことじゃなく、この9人でいることが、空飛ぶクルマのドライバーにとって、タイヤが地面を離れるほどうれしくって、楽しいことなんです。

「ラブライブ!」シリーズで、雨は本来抗えない運命の象徴として描かれてきました。確かに、ずっと一緒にはいられない。いずれ卒業し、それぞれの道を歩む。だからこそ、次の願い――いつか必ず、また一緒になれますようにと願いながら歩いていくのです。

Aqoursには、リアルという波が押し寄せてきても、それを乗り越えて「次」を見据える力があります。神様の作る運命さえも“勘当”した9人の前には、鮮やかなシャイニーが広がるのです。

POSTED COMMENT

  1. 椿(Chin) より:

    今回視聴していて、解釈できずにいた画がありました。
    本文中にキャプしてくださっている “ワゴンの中で9人が微笑んでいる” カットの次に、やや大写しでワゴンが写ります。その車内に人影は、三年生の三人しか確認できません。
    満月とは言え、太陽(サンシャイン)と比べれば「陰」であり、それに照らされてシルエット(陰)になっている画は、画面から発せられる光芒の強さに反してネガティブな印象を受けます。
    卒業して、学校が無くなって、地元を離れてと、この先にある寂しさの表現なんだろうかとも思っていましたが、この論説を拝読して何かが腑に落ちた気分です。

    一人では部屋から出ることさえ出来なかった鞠莉が、三人になって外を知るようになった。
    三人でも出来なかった事が、9人なら出来る。
    それが確信できたから、三年生はそれぞれ安心して自分に戻る事ができて、一人ひとりの先にある人生に静かに思いを馳せる。
    そんな寓意なのかな。一足先に大人になった三年生の気持ちの現れなのかな?と思い始めています。

    ただ、一人ひとりが人生を歩むのは、別れではなく新しい目標に向かってのスタート。
    一人だけど、独りじゃない。孤独じゃない。後ろに親友二人がいるから、Aqoursがいるから、浦女の皆がいるから、内浦があるから。
    無くなっても無くならない物がある。離れていても繋がっている物がある。
    改めてテーマが浮き彫りになった回だったのだと解しました。

    • ばかいぬ より:

      >椿さん
      今回は3年生が、自分の意志で気兼ねなく外に飛び出せるように
      なるまでが描かれたのかなと思います。
      椿さんが上げてくださったシーンは、一抹の寂しさもありますが、
      それは「卒業」に内包されうる寂しさだと思いますし、
      その上でどこにでも行ける足を得た表現でもあるのかなと感じています。

      そうそう、一人と独りはまったく違うんですよね。
      今振り返ると、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語の
      冒頭の3年生は個々でしか動いていませんでしたが、
      このエピソードを見ると(当然ながら)違っていて……。
      この数ヶ月間の違いを、一番強く感じている人たちかもしれませんね。

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