アニメ感想

優木せつ菜の生き方と、ラブライブよりも大切なもの― 「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第3話感想

「大好きを大切に」とは、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のライブで楠木ともりさんが必ず口にする言葉ですが、やはり優木せつ菜という女の子と「大好き」というキーワードは、切っても切れない関係です。

第3話は、その「大好き」によって他人を傷つけてしまったせつ菜の苦悩と復活を描いています。今回はもちろんその「大好き」に注目していくのですが、まずはせつ菜のパーソナリティを通じて、本作におけるスクールアイドルが、ひとつの大きな意味のある「場所」として描かれていることにフォーカスしていきましょう。

優木せつ菜がなりたい自分

苦悩する人の言葉には、その人が本当に求めていたものがダイレクトに表れます。冒頭からせつ菜が「私がなりたい自分は、こんなのじゃなかった」とひとりごちていましたが、では彼女がなりたい自分とは何なのでしょうか?

そこに連なるような独白が「期待されるのは嫌いじゃなかったけど、ひとつくらい、自分の大好きなことをやってみたかった」です。

第3話で重要なシーンをひとつ挙げるならば、せつ菜ママがせつ菜の部屋に入ってくる場面です。ここにせつ菜がどのように生きてきたかが表れている。すなわち、他人の期待する中川菜々になるという生き方です。

スクールアイドルの衣装や漫画をケースに隠し、勉強に打ち込んでいる姿を母親に見せるせつ菜。それは多くのお母さんが理想とする娘の姿のひとつでしょう。もしかしたら生徒会長も、周囲の期待に応えた結果の姿なのかもしれない。それについては、「期待されるのは嫌いじゃない」と話しています。無理に期待に応え、周囲が求める役を演じている……というわけではないのでしょう。

けれど、人はそれだけでは生きていけない。例えどんなに承認欲求が強くとも、どこかで自我を表現しなければ、息苦しくなってしまいます。人には自分のやりたいことをやり、なりたい姿を目指す時間、そして場所が必要です。せつ菜にとってのそれは、他でもないスクールアイドル。スクールアイドルとは、せつ菜が刹那、自分自身を真に解放して、大好きなことをやる自分になれる、大切な場所だったわけです。

スクールアイドルという場所の意義

せつ菜は、スクールアイドルが人の「大好き」を表現できる場所であることを、自身の経験から理解していました。だからこそ、他人の「大好き」を傷つけてしまったことの重大さを、身にしみてわかってしまうのです。

本作の2話でスクールアイドルは、自分なりの一番を叶える場所として定義されました。メンバー一人ひとりがの「大好き」を表現できる場所であるスクールアイドル。そのはずなのに、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は自分のせいでそうではなくなってしまった。

でも、彼女は「大好き」を表現できる場所の大切さ、ありがたみがわかっているし、だからこそ他のメンバーにとってもそうあってほしいという願いがある。だから、高咲侑の言葉を受けて「せつ菜さんが聞いたら喜ぶでしょうね」という言葉が出てくるのですね。

スクールアイドルであることを隠し、周囲の期待に応えてきたせつ菜だからこそ、自分を解放できる場所の大切さを強く感じていました。自身が抜けて5人未満になり、学園の制度上廃部となってしまいましたが、彼女自身はスクールアイドルという場所がなくなることを望んではいません。ゆえに「優木せつ菜が消えて、新しい虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が生まれる。それが、私の最後のわがままです」となるわけです。

ラブライブよりも大切なもの

そのわがままは成就しました。部外者のお姉さんこと朝香果林が言うように、人数は増えて新しい同好会は設立可能で、本人が退部を望むなら無理に引き止める理由がないことは道理です。

しかし、旧来のスクールアイドル同好会メンバーが反対した。特に中須かすみは、せつ菜とぶつかったにも関わらず「せつ菜先輩は絶対に必要」と力強く語っています。以前とは違うやり方があるんだと気づいたかすみは、それを見つけるために自分と正反対の嗜好を持つせつ菜の存在が不可欠であるとわかっているのです。

そんな中、せつ菜に戻ってほしいと直接伝えたのは、他でもない侑でした。

大好きを否定し、仲間を傷つけてしまう自分を自覚しているからこそ「私がいたらラブライブに出られないんですよ」と声高に叫ぶせつ菜。それに対し侑は「だったら、ラブライブになんて出なくていい」と返します。もうここ、シリーズの中でも新しい視点が出てきてめちゃくちゃおもしろいところですよね。

せつ菜は虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会としてラブライブに出場することを目標にしていました。しかし、侑は違う価値観をせつ菜に提示します。「私は、せつ菜ちゃんが幸せになれないのが嫌なだけ」。全国大会という最高のステージでなくても、せつ菜の歌を聞くことができれば「十分なんだ」。それはすなわち、せつ菜が大好きなやり方で大好きなスクールアイドルをやっている時間にほかなりません。

これって何かというと、侑の「大好き」なんですよね。侑の「大好き」は、せつ菜がスクールアイドルとして歌っていること。そこにステージの大小はまったく関係ないのです。ただスクールアイドルとファン、せつ菜と侑がいれば成立するものです。

せつ菜がスクールアイドルとして歌っている。それは侑の期待に応える姿でもあるけれども、同時に侑とせつ菜の「大好き」が尊重されている瞬間でもあります。そして侑は、まぎれもなく虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の一員。そう、せつ菜は、他の人の「大好き」を大切にできる人なのです。

POSTED COMMENT

  1. 椿(Chin) より:

    “冷めた炎”
    ロックミュージック評論家の伊藤正則氏が、’84年に再結成したディープパープルの事を そう評しました。老齢の域に達したメンバーの演奏は、往時の狂騒は影を潜め粛々と演じられているように見えながら、奥にあるロッカーとしての魂は衰えることなく、炎となって迫ってくる。そんな様子を表現した言葉でした。
    今話最後に流れたDIVE!のPVを観ながら、古に見たその言葉が浮かんできました。第一話のCHASE!では、侑を一気に虜にしてしまう程の迫力を持ってはいたものの “熱さだけ” でありました。それがDIVE!では炎と水を合わせた演出で、せつ菜の熱量はそのままに周囲を見回し受け入れる冷静さと余裕が生まれた様子が表わされているようで素敵でした。

    それにしても この人達はホントに直ぐ抱きつきますね。侑は言うに及ばず、かすみや彼方も。「凄い」「大好き」「困った」「成長したね」。感情の発露として自然に抱きついている。
    自分、第一話のコメントで「我慢している歩夢が、最後には侑の胸に素直に飛び込んでいけるようになれたら」みたいな事を言いましたが、 “歩夢がハグ出来るようになるかどうか” の話は、自分が思っているより重要なポイントを占めてくるような気がします。

    • ばかいぬ より:

      椿さんは色々な引き出しをお持ちだなぁと、コメントをいただくたびに感心します……!
      DIVE!は水も合わさった演出というのがミソでしたね。書いていただいた冷静さというのもありつつ、
      周囲と溶け込む、形を変えて入り込む、混ざるような意味合いもあったと推測します。

      ハグしまくるのは、ソロアイドルだからこそなのかなぁと個人的には思っていました。
      ソロだからこそ結びつきを強くする、特にみんなの間に立ち続けている侑がハブの役割を担い、
      その体現としてハグしているような。
      歩夢の方からハグするかどうかってすごくおもしろい着眼点ですね! 私も注目してみます。

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