「ラブライブ!」シリーズ9周年を記念して、当日の5月30日にさまざまな施策が発表されました。
数ある施策の中でも目玉なのが「ラブライブ!フェス」でしょう。何しろ3年9カ月ぶりに、μ’sがステージに立つというのですから。ネット上での反応も実に温度の高いものであり、一部メディアでも「μ’s復活」と発信されています。
ただ、個人的には「復活」とは違う印象を抱いています。復活というよりは、タイトルに記したように「再会」だと思っており、そうであってほしいなと感じる次第です。
尊重されてほしい「μ’sの終わり」
アニメでひとつの軸を得たμ’sの物語は、「μ’sを終わりにする」という高坂穂乃果たちの決意をもって、スクリーンの中ではアキバドームで、リアルでは東京ドームで「ファイナルライブ」を終えます。
この一連の「物語」は、アニメの中とリアルで密接かつ強くリンクしており、そのつながりこそ、人々がμ’sという9人×2のグループに惹かれる大きな要因の一つです。キャストとキャラクターそれぞれの物語、アニメのμ’sとリアルのμ’sそれぞれの物語が、同じステップで積み重ねられていく。この統一性が生む一体感によって、ファンはμ’sに夢中になっていきました(余談ですがAqoursの魅力はこの物語性と統一性にはなく、また別にあると思っています)。
であるからこそ、穂乃果たちが下した「μ’sを終える」という決断は、リアルのμ’sでも尊重されるものだと僕は考えています。終わるからこそ、あれだけの光を放つことができる。「スクールアイドル」だからこその輝きです。
人によって「μ’sic forever」の意味が違う
じゃあ「μ’sic forever」ってなんなの? という話になるのですが、「μ’sは永遠!」だと思っている方が大多数であることは、ファイナルライブ以降に色々と見聞きして感じています。
でもやっぱり、「μ’sが自身でμ’sを終えた」ことを僕は大切にしていきたい。となると、彼女たちの奏でた音楽が表現したものの永遠性を示す言葉が、「μ’sic forever」なんじゃないかと思うのです。
すなわち、永遠なのは「今が最高!」と「スクールアイドルのすばらしさ」です。
今が最高!
これもまた誤解されやすい言葉ですが、「今が最高!」は「今が楽しければそれでいい」という意味ではありません。今を精いっぱい生きることで、「最高」になるということです。無条件の肯定ではなく、条件を満たすからこその「最高」なんですね。
そしてそれを体現するのがスクールアイドルであり、そこから生まれる「スクールアイドルのすばらしさ」なのです。
スクールアイドルのすばらしさ
今を最高にするために、全力で好きなことに取り組む。なぜなら、「スクール」アイドルには終わりがあるから。そうして放たれる輝きが、スクールアイドルのすばらしさです。
μ’sとA-RISEの活躍によって火がつけられたスクールアイドルの灯火。これはどれだけのスクールアイドルが生まれ、卒業しようとも、消えることはありません。ゆえに永遠である。端的に表現してしまえば、foreverなのはμ’sではなく、彼女たちが示したスクールアイドルのすばらしさなんです。
「スポット」であってほしい
受け継がれるのはμ’sのすばらしさではなく、スクールアイドルのすばらしさである。
これが、僕の考える「μ’sic forever」の意味です。μ’sとの思い出は確かに大切なもの。でもそれは永遠ではなく、次の何か――それはスクールアイドルでもまったく別のものでもいいでしょう――に向かって進んでいくエネルギーとなるものでした。
その先が、今なお続くAqoursである方も多々いらっしゃいます。同時に、僕のように “終わらないAqours” についていけなくなった人の心に残っていた種火に、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会がもう一度火をつけたという方もいらっしゃるでしょう。
μ’sと「μ’sic forever」は別モノです。μ’sは終わったけれど、彼女たちが示した「μ’sic forever」=スクールアイドルのすばらしさは「継承」されていく。その尊さは、疑いようがありません。
μ’sが自ら終えることで「スクールアイドルのすばらしさ」を示したからこそ、「復活」ではないといいなぁと心底思います。復活では、それが無意味になってしまうような気がして。だから「再会」がいいですね。次の何かに向かうエネルギーを得た僕らが、それを与えてくれたμ’sに再会する。「久しぶり、元気にしてた?」とお互いに声を掛け合うような感じで。そんな2日間になればいいなと思います。
でも、こういう思考をしているからなのか、「よっしゃ行くぞ!」という感じではないんですよね。もう僕の番ではないというか……ファイナルライブの感想エントリをアップした瞬間、μ’sに対してできることはやり切ったし、それによって次のステージに行くことができたからかもしれません。だから、虹ヶ咲のみんなのステージは見守りたいし、μ’sにも再会したいけど、何よりあの頃いっしょにμ’sに夢中になった人たちと「久しぶり、元気にしてた?」って会いたいな、と思います。
僕も復活ではないかな~とか想いながら適切な言葉を探していましたが、中々見つからず、逆にこんな風に思うようになりました。
「日本語で表現しきれない複雑な節目を設けたμ’s凄いのでは?」と(笑)。
これは2.5次元故の難しさ何でしょうね。μ’sに対しては、もう会うことが出来ない恩師・旧友が個人的には一番しっくりきます。当時の思い出や、彼女達が今どこで何をやっているのか想いを馳せる。それがたまらなくいとおしい。
μ’sのFINALを境にラブライブ!から離れた友人達にも、この2日間はあの頃に戻って一緒に盛り上がりたいです。一緒にμ’sのライブに参加したかった方も沢山いるので、是非来てほしいなと。
>もぎゅちょこさん
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、
これを言葉で記事として送り出すのに、非常に頭をひねりました。笑
「会うことができない恩師・旧友」という表現がとてもステキですね!
会えないんだけど、その人をきっかけにみんなが集まるような……。
同窓会みたいに、μ’sファンとこの3年間を分かち合えたら良いですね。
発表後に内田彩氏から発せられたツイートでも、「μ’sをおしまいにした」ので「復活という言葉では無い」と語られていましたね。
再集合であっても、復活ではない。
発表会見場でも、伊波・大西両氏が制服スカートを履いていたのに対して、新田氏は同じ9周年Tシャツを着ながらも下衣は大人びた私服風スカートであったことも、OG的立ち位置であることを示していたのだと思います。
「僕たちはひとつの光」でも歌われていますが、”時を巻き戻すのではなく、今が最高” なのですね。音ノ木のμ’sから、その後の各々の活動を経て成長した “今” の9人としての解釈で歌われる楽曲に興味があります。
もしかすると、それは “ファン” が望む形ではないのかも知れません。私の好む形でないかもしれません。でも、”最高の今” を見せてくれる事は間違いがないのですから、喜んで受け止めたいと思っています。尤も、SSA現地参戦したくとも、抽選を勝ち残るのが難しそうですけど。
-余談-
“μ’s” には乗り損ねてしまった自分ではありますが、Aqoursの2ndライブでスクフェスの宣伝が流れたり、今般の発表でμ’sの名を目にした時、得も言われぬ滾りを感じたのは事実です。
昔を知らない子供達が、ライダーやプリキュアの歴代客演に歓喜する感覚と同じなのかもと思ったり思わなかったりw
>椿さん
コメントありがとうございます! 返信が遅くなりました。
内田さん含め、多分μ’sの面々は今回のイベントについて、その立ち位置をかなり考えたんだと思います。
その答えをもって、ああいう言い方をされたのかもしれませんね。
今、μ’sがμ’sの歌をうたったらどうなるか、というのは僕も非常に興味深いところです。
「今が最高」をもって駆け抜けてきた人たちなので、そこは最高の今を共有してくれることでしょう。
仮面ライダーやプリキュアとは言い得て妙ですねw
椿さんはじめ、当時μ’sを見ていなかった方々もご覧になれる機会があるといいなと思います!