まーーーもーーーとにかく希希希アンド希。冒頭から希と楽しげに話す下級生にめちゃくちゃ嫉妬するシーンで始まり、絢瀬絵里のスクールアイドルダイアリーは東條希でいっぱいです。
しかしそんな絵里の姿は、彼女にとって希が一番の理解者であることがきちんと描かれているゆえ、それくらい大切な存在なのだろうなと思えます。絵里は希に対して、自分のことを一番理解してくれていることを自覚しながら、手のひらの上で転がっている感じなのです。転がされているのではなく、希の手の上にいる自分を把握して、転がっている感じ。
スクールアイドルダイアリーの絵里は、アニメ版と比べると比較的冷静です。自分自身のことを、きちんと見つめています。自らが合理的思考の持ち主であること、押しに弱い人間であることを客観視しながら、変わりゆく自分を眺めている。その押しの弱さも、本人は嫌っていないようです。
それはきっと、押し切られたゆえにやることになったこと、任された立場を、彼女は誇りをもってやり続けているからなのでしょう。「チキンレース」の結果やることになった生徒会長も、μ’sも、絵里は自分から生み出されるものに価値を持たせようと、誇りを持って全力で取り組んでいます。
ではその「チキンレース」に巻き込まれるのは、そもそもなぜなのでしょう?
一番遅く廃校を知って、一番早く行動をし始めた高坂穂乃果。彼女の姿を見た絵里は、最初から学校存続を諦めていた自分には、穂乃果の作ったμ’sに加わる資格はないと、あくまで彼女たちの支援に回ろうとします。「どこか――負けたような気がしたの」と語る絵里の気持ちは、個人的にとても共感できるのです。あまりにまぶしく熱い存在だと、逆に近づけない。自分がとても小さな存在になる気がしてしまいます。
つまり、自分に能力があるとは思えないのです。生徒会長を引き受けるときにしたってそう。「このハーフ丸だしのルックスで、どっちかっていったら、非模範的な、遊んでばかりの適当でだるーい女子高生生活を送って来た」自分が、生徒会長なんて無理だと。
しかし周囲から見ると、生徒会長にぴったりな地元育ちの生え抜きという生まれも、「スクールアイドルになるべき人」と見られるルックスも能力も持ち合わせている人なのです。
「今さらアイドルを始めようなんて、私が言えると思う?」という絵里のセリフがアニメにありました。同じようにこのスクールアイドルダイアリーでも、“自分に資格も能力もないこと”を絵里自身が直視したところで「そんな私が――今さらμ’sの力に――メンバーになんてなれるはずないじゃない」という言葉が発せられています。
これが“公野櫻子流”の絵里の本質。合理的に、冷静に自分を見られる絵里だからこそ、自分を認められないのです。
しかしその絵里を引き上げたのもまた希でした。「きっとみんな、単純なんよ。ただただエリちのことが好きで。エリちに入ってほしいって、ただそう思ってるん。エリちならできるって。エリちにしかできないことで――中からμ’sを助けてほしいって」。ずっとそばにいて、その人を理解できる希だからこそ、生徒会もμ’sも、絵里にとことん付き合う覚悟と楽しさをもった希だからこそ出てきた言葉です。
チキンレースの結果かもしれない、希にほだされた結果かもしれない。それでも、こうして自分を見つめる合理主義のロシアンクォーターが、すべての先読みと思考を捨てて、今ある思いを全力で表現しようとする姿はとても尊く、美しく見えます。
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