ラブライブ!

“Yes, we are School idol.”の意味―映画版ラブライブ!感想(第1回)

【ネタバレありです!】

 

 

 

 5thライブ以降、常々「次は東京ドームでラストライブをしてほしい」と言ってきましたが、いよいよもって現実味を帯びてきたように感じられ、ちょっとソワソワしています。そして、「終わりを描いてこそのスクールアイドルなのだから、この映画版でアニメは終わってほしい」とも言ってきました。

 終わる、という正式なアナウンスはまだありません。でも、「アニメ版最終回」とするとこの映画版はすごくよくまとめられていて(まとまりすぎなくらい)、非常に秀逸な“最終回”でした。

 μ’sが出した「終わる」という決意への道筋を追っていきましょう。

 

押し寄せる期待の波

 ニューヨークでのライブを終えたμ’sは、帰国するなり自分たちのライブ動画やアドが至る所に展開されていることに驚きを隠せませんでした。今までと同じ秋葉原のはずなのに、自分たちの知らない世界が広がっていたのです。

 そこでμ’sは周囲の期待にあてられます。今までにないくらい押し寄せてくる人波、かけられる言葉。現実に置き換えれば、ニューヨークライブは「初のTVアニメ化」と同義です。

 「次のライブ、楽しみにしています!」とみんなが伝えてくる。せっかく「大好きです!」と言ってくれる人に、「もう表には出ないんです」とは、とてもじゃないけど言えません。さらに、唯一同じ立場の人であるA-RISEにまでも「続けてほしい」と言われる。

 こんなに大きな期待、そして願望をぶつけられたら、抗えずに流されてしまうのも無理はありません。μ’sは、穂乃果は、自分を見失いかけてしまいました。

 そんなとき、手を差し伸べてくれたのが、あの女性シンガーです。

 

μ’sはどうありたいのか

 穂乃果がニューヨークで初めてあのシンガーと出会った際、彼女はなんと言ったか。

 「何が好きか」「どうありたいのか」

 その問いかけは、どこまでも主体的。でもそれでいいのです。そこに周囲の期待も、願望も入る余地はない。自分は何が好きで、自分はどうありたいのか、その答えを導き出したとき、「飛べる」のです。

 服が汚れるからダメとか、滑って危ないからいけないとか、関係ない。この水たまりを飛びたい、飛べる自分になりたいから、幼い穂乃果は何度も何度もチャレンジし、飛び越えてみせました。

 余談ですが、あの女性シンガーは未来の穂乃果かもしれないなぁと思いながら見ていました。マイクを持ってきているのに忘れたというドジぶり、高坂家に入ろうとしない、結局穂乃果はあのマイクを返せていない、大事にしているもの、考え方……を考えると、そうかなぁって。ファンタジーテイストをスパイスにするのも、「ラブライブ!」の特徴ですよね。

 ではその問いかけに穂乃果は、μ’sはなんと答えたか。μ’sは何が好きで、どんなμ’sでありたいか。それは「スクールアイドルが好き」「スクールアイドルにこだわりたい」です。

 

μ’sである前に

 スクールアイドルだからこそ、こうして9人でいられる。終わりのあるスクールアイドルだからこそ、ここまでやってこれた。そんな気持ちが、μ’sにはあったんじゃないかなと思います。限られた時間だからこそ、目いっぱいに輝くことができた。だから、終わらなければ、やっぱりウソなんです。終わりがあるから、「最後まで駆け抜けるよ!」と歌える。

 あとはその発露。つまり、どんなふうに表現するか。μ’sはこの「どんなふうに表現するか」という点に関しては、いつもいつも秀逸な答えを出してきます。きっと、「自分が表現したいように表現しているから」なんですね。

 例えば今回だって、全国のスクールアイドルに短時間で声をかけて集めるという途方もない難題に、「会いに行こう!」というド直球で取り組み、実現させてみせました。いい意味で現実を見ずに飛び込んでいく勢いとスピードがとてもμ’sらしく、またそれらが今のμ’sを作り出した一因でもあります。

 「廃校を阻止する」「(μ’sとして)ラブライブで優勝する」ということは、“音ノ木坂学院のスクールアイドル・μ’s”だからこそできること。でもその前に彼女たちはスクールアイドルであり、スクールアイドルが好きなんです。

 最後に、μ’sはμ’sである前に“スクールアイドル”であろうとしました。それはきっとA-RISEも、イーストハートもMidnight Catsもミュータントガールズも同じ。だから、みんな同じユニフォームで歌ったのですね。

 希の、“Yes, we are School idol.”という言葉が、この映画そのものを表しています。「ラブライブ!」は、“μ’sの物語”から、“スクールアイドルの物語”になったのです。

POSTED COMMENT

  1. 拓ちゃん より:

    ご無沙汰しております。
    私も昨日、劇場版ラブライブ!を観てきました。
    それで、感想が上がるのを楽しみに待っていました。

    感じたポイントは同じでしたね。
    ただ、上映中ではあの女性シンガーの声がPileさんに似ているような気がしてしまって、
    真姫ちゃんの親戚か何かだろうか……なんて考えていたのですが、
    「大きな駅の近くの大きなホテルで、立派なシャンデリアのあるところ」でわかってしまうのは、
    どう考えても“同一人物”かつながりがあるとしか思えない。
    よくよく見れば、穂乃果に似ている。
    そう思うと、未来の穂乃果だという推測はアリなんだと思いますね。
    制作側はハッキリさせていないから、その辺の解釈は自由にという意味なんでしょうけど。

    で、ハッキリさせていないことと言えば、ラストライブの詳細。
    いつ、どこで、どのように…
    明かしていないのは、彼女達μ’s9人の将来と共に無限の可能性を秘めて終わらせたかったのかと。

    感想楽しませてもらいました。
    第2回も楽しみにしています(^^)
    私も2回目いつ観に行こう?

    • bakainu より:

      拓ちゃんさん

      こんにちは! 記事のアップをお待ちいただいていたとのこと、
      うれしいです! ありがとうございます。

      僕も女性シンガーさんの歌声、一瞬Pileさんっぽいなと思いました。
      よくよく歌を聴くと、コナンくんのかた(高山みなみさん)だと気づいたのですが、驚きました……。

      そう、彼女はホテルの場所も知っているし、内装も知っている。
      と考えると、未来の穂乃果かなぁという気がしてなりません。
      そういう考える余地を残してくれるのも、「ラブライブ!」のいいところですよね。

      ラストライブ、アニメで描かれなかったということは、
      これは現実の方で目の当たりにしろということなのかなと!
      アニメの中でどうやってドームライブを実現させたかは、拓ちゃんさんのおっしゃるとおり、
      無限の可能性を感じてほしかったのかもしれませんね。ステキなお考えだと思います。

      ありがとうございます、また目に入ったときにでもぜひ、読みにいらしてくださいー!

  2. ツカサ より:

    やはり書かれてましたね。お待ちしてました。

    あまり大きな声では言いませんが、今後も期待させていただきます。

    さて、ここで多くを語りませんが、
    女性シンガーって、結局何?という疑問。
    そして、マイクを受け取らなかった意味。

    穂乃果のガイドをする一人として、μ’sの立ち位置を補佐するものとして
    出てきたのではないかなーとも思いました。

    シンガーの立ち方に違和感、覚えませんでしたか?

    見たとき、なんであんなに窮屈な立ち方するんだろう?
    と思いました。
    μ’sの対極で、歌う、という行為と、「やりたいことをやっている」という意思以外は、
    まったく反対側に見えるキャラクターなんですよね。
    特に光が当たるステージではなく、
    誰も見向きもしない、ストリートシンガー。
    ただ朗々と、心情を歌にこめて歌い上げる。
    対して、μ’sは、みんなで一緒に作り上げ、時にはダンスでもその喜びを表現し、
    限られた時間の中ではあるけれど、キラキラしたステージで歌う。
    観客ゼロのステージでも、それは同じだったように思います。

    μ’sはどうありたいか。穂乃果自身はμ’sをどうしたいか、というところにスポットを当て、
    そしてその回答が、終盤だったのでしょう。

    観覧当初は、少し期待が高すぎたのか、というより(自分の中では)予定調和で終わったな、
    という感じで、2期11話ほどに涙するものでは無かったです。
    ただ、ちゃんと終わらせてくれた、という満足感はありました。

    • bakainu より:

      >ツカサさん

      こんにちは! ご期待いただけてうれしいです、ありがとうございます(*´∀`*)

      予定調和的、というのはすごくよくわかります。僕も、感情を揺さぶられたー! というよりは、
      きれいに、まるーくまとめたなという印象でした。

      女性シンガーの歌っている場所ってすごくキーポイントな気がしますよね。
      「歌が好きだから歌う、場所さえも選ばない」というのは、「歌うのが好き」だから
      スクールアイドルをやり続けた穂乃果にとっては、ある意味究極の理想なのかもしれません。

      だからこそ、ガイド役になれたのかなという気もします。
      ここらへん、繰り返し見てもっと掘り下げたらおもしろそうですよね!

      何はともあれ、ツカサさんのおっしゃるとおり、
      ちゃんと終わらせてくれて本当によかったです!

  3. 匿名 より:

    本日このサイトに出会いました
    11話からこの劇場版にあたり穂乃果達が最重要視し所属する「ミューズ」という肩書きから「スクールアイドル」への焦点の変更をコンセプトに描かれています筈

    視聴後ネットでの一つの意見に穂乃果やメンバーの心理描写が曖昧、なんでそこからそう論点が飛躍するの?という疑問を見掛け私自身やきもき?したのでやっぱりそこの補完といいますか動機付けという点でこのテーマは視聴者にとって大きい部分を占めてたと思われます

    そこでのこのwe are・・・を読んで感銘を受けたというか非常に斬新で面白い切り口だなと思いました
    これが意図されたものならば希がこの発言を任されたのにも何か理由があったのかと興味が湧いてきます
    ミューズとスクールアイドル自身切っても切り離せない関係ではありますが
    私の考えとしては三年仲間の意見の尊重と責任と決断を求められる立場になった上での穂乃果の成長かなと主に思っています

    • bakainu より:

      匿名さん

      はじめまして! お読みいただき、ありがとうございました。

      心理描写が曖昧、論点が飛躍というご意見もあったのですね。
      個人的にはきちんと段階を追って描いていた印象だったので、少々意外でした。

      「ラブライブ!」はあくまで“School idol project”であり、μ’sの物語はその一部ですので、
      「スクールアイドル」の物語として描くこと、そのためにいちスクールアイドルの終わりを
      描くことは必要だったと感じます。

      その上でこの記事を書いたのですが、仰るとおり希が“Yes…”と口にするのは非常に興味深いですよね!

      穂乃果の成長も、この映画ではとても伺えるところです。
      周りの声を聞いてしまうのは周りが見えている証拠ですし、周りが見えているということは
      自分自身も見つめられるようになったのではないかなと思っています。

      そうした中で原点に立ち返り、自分のやりたいことをもう一度選んだ姿には、
      「やりたいことをやる」という1期1話と同じ決意でも、やはり説得力が違うなと感じました。

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