これまで、μ’sのライブでは必ず観客が描かれていました。しかし、先日公開された視聴動画をご覧になってもわかるとおり、初の海外ライブとなった今回は一人も描かれていません。ここに、μ’sと観客の関係性が表れているのではないでしょうか。
も う 観 た よ ! と い う か た は こ の 先 へ ど う ぞ ! ↓
— ばかいぬ (@bakainu) June 13, 2015
μ’sと観客の関係性
一応、これまでにも歌を歌いながら観客がいなかった時がありました。「これからのSomeday」がそうでしたよね。しかしあれはPVを作ると言っていたもので、ライブではなくあくまでPVです。「Angelic Angel」では、絵里がはっきりと「ライブ」と言っています。
μ’sというグループは、μ’sのメンバーだけでなく、周りの応援してくれている人たちとともに作り上げられてきました。これは2期10話で登場人物たちも確認していますし、このブログでも「“隙”のあるμ’sに手を差し伸べて参加することでμ’sを“好き”になる」と書きました。
側に寄り添えるスクールアイドル・μ’sに近づくことで愛着がわく。μ’sはその周りの人たちの思いを受け取って力に変え、それをライブをはじめとしたさまざまな形で返す。返されたファンたちは、よりμ’sへの思いを強くする。この双方向性が、μ’sの強さ、μ’sをμ’sたらしめているものです。
彼女たちは、見てくれている人、応援してくれている人、聞いてくれている人たちのために、「大好きを、大好きのまま、大好きって」歌います。μ’sは、関わった人たちすべてのために歌うのです。
ニューヨークで観客がいなかった理由
「Angelic Angel」をニューヨークで歌う目的は、スクールアイドルの大会・ラブライブをドームで公演できるように、チャンピオンとしてスクールアイドルそのものを盛り上げるため。ならば、見てほしいのは現地の人ではなく、日本にいるμ’sファン、スクールアイドルファンでしょう。
実際、ニューヨークでのライブ映像を見て多くのファンが空港に押し寄せ、また物語自体の本格的な展開もそこからです。パフォーマンスのターゲットそのものは、日本の人たちといっても過言ではありません。
だから「Angelic Angel」で現地の観客は描かれなかったし、映像も昼と夜が交差する、とてもPVチックなものになりました。
おもしろいのは、ニューヨークに行く動機の時点ですでに彼女たちは、スクールアイドルそのもののために行動しているということ。映画のラストで彼女たちは“スクールアイドル讃歌”を歌うわけですが、このテーマはニューヨークに行く時点から、つまり映画全体を通して一貫しているのですね。
現地の人にとってのニューヨークライブ
では、彼女たちのニューヨークライブは、現地では無意味なものだったのでしょうか?
朝のセントラルパークで希と言葉を交わした現地人は、「スクールアイドル」というものを知りませんでした。しかし希の言葉がきっかけになったかはわかりませんが、彼女たちはスクールアイドル・μ’sの秋葉原でのライブを「直接」観に来ています。
逆説的になりますが、彼女たちがあそこにいるのはμ’sを応援してくれたからなのです。μ’sはセントラルパークで彼女たちに会ったことで「私たちはここにいていい」と思うことができました。彼女たちと会話を交わしたあと、「海外もいいでしょ?」と問われた海未は「そうかもしれません」と警戒を解き、穂乃果は勢いよく街に繰り出していきます。
この「ここにいてもいい」と思えること、覚えていますでしょうか。「秋葉原」という土地を語った1期9話とまったく同じなのですね。だからこのあと、凛はニューヨークのことを「秋葉原と同じ」と思えた。
遠く異国の地に来たμ’sを、あたたかい言葉で迎えてくれた彼女たちもまた、μ’sに関わった人たち。何があったかはまったく描かれていませんが、それでも彼女たちを自分たちの前に呼び寄せる何かを、ニューヨークライブを通してμ’sは彼女たちにもたらしたのではないでしょうか。
立場も、場所も、国籍が変わっても、やることは同じ。μ’sは関わったすべての人たちに思いを届けるために、「目の前で」歌うのです。