μ’s紅白出場キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!! #lovelive
— ばかいぬ (@bakainu) November 25, 2015
昨年も「この勢いなら、μ’sは紅白に出るかも?」なんて噂がちらほら立っていたのを覚えています。でも僕は正直、出てほしくありませんでした。
紅白歌合戦は、いうなれば究極の大衆文化。「ラブライブ!」はいわゆる“オタク文化”の中では際立っていましたが、そこまで。つまりオタク文化の中から出ていくほどの力はないと思っていました。
それから1年を経て、今年はぜひ出てほしいと思っていました。この心境の変化の大きな要因は、映画の成功です。
映画館という場所は、大衆文化もオタク文化(アニメに限らず)も混ざり合うところ。異なる文化が目に飛び込んでくる場所です。「ラブライブ!」はこの場で、いちアニメ作品として興行収入と動員数で記録的な数字を残しました(2015年11月14日に観客動員数が累計200万人を突破。興行収入は28億円に)。
この「数字を残した」ということは、とても大きなことです。誰が見てもはっきり「すごい」とわかります。あらゆる文化が混ざり合う場所、またすべてが競合でもある場所で「ラブライブ!」は結果を残した。どこに出しても恥ずかしくない“ウチの子”になったのです。
無名の新人声優、タレント、歌手だった9人が、2度のアニメ化と映画化を実現、日本最大規模のアリーナを埋めるワンマンライブを実施と、あれよあれよという間にスターダムを駆け上がり、紅白歌合戦への出場を掴みとりました。こんなに応援していて楽しい人たちはいません。本当に、夢のようなリアルを見せてもらっています。
惜しむらくは、9人目の出場が不透明なこと。何とか全員で歴史に名を刻んでほしいと願うばかりです。紅白のステージが南條愛乃さん復活の舞台になったら、僕は泣きます。
どうも、お久しぶりです。
4thのBDも気になって南條さんの足元見たら、
テーピングしてたんですよね……
この事実を知って愕然としました。
体質的なものと重なって負荷が
増大してたんでしょうね……
でも、不透明、という事は、可能性は
見えてるわけですよね。
次のライブに出られるかが
一番気になるところですが、
なにより出場できることは
ライブを披露する場所が
多いことは喜ばしいことです
ツカサさん
お久しぶりです! コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり4thの時からテーピング組は多くて、予防と対処療法のどちらなのかわかりませんが、
いずれにしても練習の壮絶さを物語っていますよね。
ましてや南條さんは今まで負荷の強い運動をしたわけではおそらくないでしょうし、
先天性のひざのズレも重なってしまいましたね……。
今日の会見では不在だったようですが、また8人で出るとは決まったわけではないですし、
希望をもって祈りながら待ちたいと思います!
本当に何かを見せる場があるのはありがたいことですし、ぜひ成功させてほしいですね。
私も紅白出場を喜んでいます。
もちろんプロジェクトの目標が紅白だったわけじゃなくとも、周囲をそれを認めるほど、作り手、演者、応援者が三位一体となって導いて結実した紛れもない『偉業』です。
しかしながら、紅白発表以降での一般層を“名乗る”コメントに批判的なモノが多いのも事実。
もっと出るのに相応しい人がいるんじゃないか、NHK視聴者層と合わないんじゃないかとか……
喜ぶ側と比較して賛否の色合いがかなりはっきり分かれている感じがしますね。
アニメ……大昔な言い方なら「テレビまんが」から出てきた人たち、という今も昔もあまり変わらない意識が日本人には根強く、それもアニメ好きを公言している人たちの中にもそういう意識を持っている人が数多くいることを、いつもながらに感じます。
好きでいることを引け目に感じ、公に出たら貶されるかもとビクついて表に出そうとしない。
アニメに限らず、日本ではマイノリティ…というより自分の認識外の事に対する迫害は無くなりそうにありません。
自分的にはとても悲しくてつらいです。
また、某所でのコメントで「大人の自分には、純粋で眩し過ぎて好きじゃないし観るに堪えない」と書かれていたのを見て、
ああ、そういうのもあるんだなと思いました。
よく「夢」を見ること、語ることがカッコ悪いという人もいます。
そういう方々とはトコトン相性が合わないのかもしれません。
『みんなで叶える物語』
これをどれだけみんな本気で信じて突き進めるか。
そして「好き」という想いはどれだけその相手を押し上げることができるのか。
応援し支える側であるファンの私たちの正念場でもあると思っています。
先日のスペシャルを製作して放送したNHKであれば、単純にお茶の間を凍りつかせたりしないんじゃないか、と私は思っています。
僕は自分にも他人にも、原因は己の中にあると思ってしまうタイプなので、
「人間的にきちんとしていればいくらでも何かを好きと言える」と考えちゃいます。
立派な人間である必要はないのです。最低限の会話ができて、清潔感のある自己を作り上げて
堂々としていれば、そうそう迫害されることはありません(とても強者の意見っぽいですが)。
外的要因に原因を求めるばかりでなく、内的要因を探って自分自身を磨けばいいのになと思ってしまいます。
他人が見ているのは、コンテンツではなくその人自身です。
「好き」という気持ちやコンテンツのすばらしさをどれだけ言葉を費やして語っても、
それを言う人がどんな人であるかで印象は変わってしまいます。
(「付き合ってください」とJKに言われるかオカンに言われるかで全然違いますよねw)
嫌いだったり敬遠している人をこちらに引き込む必要はまったくないと思っているのですが、
露出の多いこのタイミングですばらしさを訴えるのであれば、こういう意味でファンの正念場だなと僕も考えています。