同人誌を作るにあたり、劇場版をもう一度見たのですが、上映当時はイマイチ意味が掴めなかった絢瀬絵里のセリフがようやく腑に落ちたので、少しだけ。
何がわからなかったかというと「みんなとこうしていられるのも、もうわずかなはずなのに。この街は、不思議とそれを忘れさせてくれる」です。
少しシーンを巻き戻すと、花陽が白米を強く要望する場面になります。白米は花陽にとって好物なんですが、それと同時に彼女たちも含めた我々日本人にとっての「日常」なんですよね。
ここからμ’sの意識はぐらんぐらん揺れます。白米がないということは、彼女たちは「非日常」にいることを示します。その後、日本食レストランで白米にありつき、「日常」を取り戻す。帰りに穂乃果が「何かこうしてると学校帰りみたいだね」としみじみつぶやいていますよね。白米を食べ(しかも2期7話で出てきたものと同じ黄金米)、いつもの9人が一緒にいる。普段と変わらぬμ’sの日常が、ここにあります。
これが絵里のセリフにつながるのです。「この街は不思議とそれを忘れさせてくれる」……つまり、学校や学年、場所や時間、それらの何もかもが、μ’sがμ’sであることには必要がない。この9人が集まれば、“いつもの時間・空間”になるということです。
異国にいようが、卒業間近であろうが、絵里が他の8人と過ごす今ここには、この1年ですっかり馴染んだ「日常」がある。「日常」に必要なのは、この9人だけなのだと絵里は感じ取ったのかもしれません。
だからこそ、1人いなくなってしまった途端に非常事態。穂乃果は「学校帰り」からたちまち「異国の地で孤立」した状態になってしまいましたし、他の8人はμ’sがμ’sでなくなってしまったために大わらわ。非日常→日常→非日常と大きく揺さぶられたことで、本当に大事なものがあぶり出されたシーンだったのではないでしょうか。