μ’sのホームグラウンド
ファイナル、と言われて知らず知らずのうちに身構えていたのかもしれません。1日目とはいえもっとしんみりしたり、いろんな感情がこみ上げてくるものかと思っていましたが、とにかく楽しいライブでした。「楽しい!」ばかりの1日目でした。
いつもより振りが落ち着いているような印象を受けたのですが、会場が大きいからなのか、ペース配分を考えていたからなのか。東京ドームという、μ’sにとっては初めての場所なのに、何度かライブをしたことがあるのかと感じてしまうほどのこなれ感。
まるでここは、μ’sのホームグラウンドみたいだと思いながら見ていました。
20年来のジャイアンツファンの僕にとっては、ここは野球を見る場所。それがこんな風になるなんて! 光で埋め尽くされたグラウンド、遥か上空の天井には「ラブライブ!」「μ’s」の文字。野球ファンであるがゆえに感じる、異空間ぶり。
それでも、彼女たちが出てくると、とても馴染みのある“いつもの雰囲気”になるのです。ああ、μ’sのライブだなぁって。それはこの6年でμ’sが育んできた彼女たちの雰囲気だし、その中には彼女たちに育まれた僕らファンも含まれています。それがきっと、南條愛乃さんが「ただいま」と言う代わりに話していた「おかえりではなく、よっ久しぶり、という感じ」の正体なのでしょう。
だからなのか、僕の中では“μ’sのライブが行われている東京ドーム”という特別感はあれど、“普段は野球をやる場所でやっているμ’sのライブ”という特別感はなかったのです。成長した彼女たちが、どんな場所でも自分たちのステージにしてしまう術を身につけたと同時に、少なくとも1日目は――それこそ楠田亜衣奈さんがずっとTwitterで言い続けてきたように――いつものとおり楽しむこと、やり切ることを目指したからなのかもしれません。
同時にこの感覚は、彼女たちに対するハードルが上がり続けてきたことへの証左でもあります。幕間で流れていた「μ’s chronicle」で改めて振り返ると、アニメと同じようにキャストが踊るというパフォーマンスは、本当に画期的でした。でも今は、彼女たちにとっても見る者にとっても当たり前になりつつあります。
それが当たり前のことじゃないと気づかせてくれたのが、南條さんでした。
奇跡みたいなミラクル
今回、久々に9人が揃ったμ’s。とはいえ南條さんは部分的な合流であったため、このライブの中でも9人いるときとそうじゃないときを、否が応でも見比べてしまうことになります。今まで、いないならいないなりに見ていたぽっかりと空いた穴が、今回はすぐそばにいる分、より際立っていました。
と同時に、人前でこのプロアスリートにさえ匹敵するのではないかと思うほどのパフォーマンスを見せること、そしてこの9人が一緒にいることは、やっぱり奇跡みたいなミラクルなのです。
そのミラクルが大きく結実したのが、今回初披露された劇場版の代表曲「Angelic Angel」でしょう。イントロが始まり、μ’sにスポットが当たってセンターの南條さんが目に飛び込んできた瞬間、言葉を失うとはこういうことかと実感しました。南條さんはああ話していましたが、やっぱり僕らファンにとっては、8人という“アウェイ”から9人という“ホーム”に帰ってきた。だからどうしても、「おかえり」と伝えたくなるのです。
「今が最高!」って、そういうこと。今が楽しければいいわけではなく、「今が特別で最高の瞬間」だからこそ、目いっぱいがんばって、楽しむ。「今が最高!」は、結果ではなく原点なんですよね。
ファーストのころから変わらない“超えてくる力”
5thのときも書きましたが、ライブではいつもμ’sは何かを“超えて”きます。
ファイナルに至った今回でさえ、「もぎゅっと“love”で接近中!」が衣装化されたばかりか、一瞬でパンプキン柄に変わる仕掛けを披露。今回はこれまでになかった衣装での仕掛けがたくさんありましたね。
2次元と3次元を“超える”のもμ’sのお家芸のひとつ。「Angelic Angel」で扇子の動きに合わせて光の筋を浮かばせたり(失敗もありましたが)、すごすぎて一瞬引いてしまった「僕たちはひとつの光」の舞台装置を完全再現してみせたり。本当に、ここまで体現してしまうのかと、いつも驚かせてくれます。
μ’sの原点であるアニメを再現したダンスも然り、巨大な花が開いて9人が映画そのままに歌うのも然り。彼女たちは役者であると同時に、それぞれのパートナーをこの場所に映し出す“超えた”存在でもあります。それは、ファーストライブからずっと変わらない。だから南條さんが言ったように、あそこにいたのは「絢瀬絵里と南條愛乃」なのですね。