この1本のエピソードの中に、「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語の始まりと、新しい始まり(=物語の終わり)を感じさせる要素がたくさんありました。
物語の始まりを思い起こさせるのは、新品のような制服、桜の木に登った津島善子、「青空Jumping Heart」、体育館のステージ、スクールアイドルを始めるきっかけの思い出。新しい始まりを予感させるのは、桜内梨子が飼い始めた子犬、しいたけの子どもたち、新しい学校の制服。
そして、この始まりと終わりにはさまれているのが、浦ノ星女学院という場所。最後に語られたのは、場所への思いです。
「学校」と一言で言っても、この中にはさまざまな場所があります。誰かにとって近づきもしない部屋が、他の誰かにとってはとても馴染み深い一室になっている。一つ一つの教室に、生徒たちの思いが詰まっているのです。
ひとりぼっちだった1年生を守っていたのが、図書館でした。ここには本という、他の誰かが思いや考えをしたためたモノがある。別の世界への入口がある。ここに来れば、ひとりぼっちではなかったのです。これは国木田花丸、黒澤ルビィにとっての話ですが、もっと広く捉えると、善子と学校の関係性でもあります。浦ノ星女学院に入学し、スクールアイドルになったからこそ、彼女は独りではなくなった。善子に寄り添ってくれたのが、この浦ノ星女学院と仲間たちです。ゆえに、善子は度々未練を感じさせる態度を取ります。扉を閉めることを拒否していたのも、この学校が終わることを認めたくなかったからかもしれません。
ピアノという、梨子が表現するための道具が鎮座していた音楽室。ここは音が広がる場所です。すなわち、思いを乗せた表現を広げ、受け止めてくれる場所です。そんな場所で梨子へ元気に思いをぶつけたのは渡辺曜。「ああ、彼女は自分のやりたかったことをやり切ったのだな」と思わせるシーンです。高海千歌と一緒に何かをやりたいと始めたスクールアイドルをやり切り、千歌と同じ景色を見た。だからこそ、(千歌を見捨てるという意味ではなく)他の人に目を向けることができるようになった。曜はやりたいことを成し遂げましたが、それは梨子も同じだと思います。この二人だけ、校門を閉める際に泣いていないんですよね。
理事長室は、生徒ではなく理事長の部屋です。ゆえに、ここにいる際は理事長でなくてはならない。ここに来た時は、生徒会長でいなくてはいけない。統廃合になるかならないかの瀬戸際で、3年生たちは大人と子どもの間で揺れ続けていました。そんな彼女たちが、最後に卒業生として理事長から証書を受け取り、小原鞠莉を理事長と同時に生徒とみなして感謝状を贈る。別離の辛さを知る鞠莉は、黒澤ダイヤ、松浦果南からの感謝状を受け取ることに一瞬ためらいますが、「いつかまた一緒になれる」という言葉に励まされます。大人と子どもの狭間で揺らいでいた子たちが、大人でいるべき場所で年相応の思いを共有し、大人への一歩を踏み出す。相反する要素に囲まれながらも、しっかりと気持ちをつなげる3人のシーンは、胸を打つものがあります。
9人の思いを受け止め続けていたのが部室です。いいえ、思いのみならず、不安も緊張も、汗も涙も、すべてを受け止めてくれました。だからこそ、千歌は「ありがとう」とお礼を言います。ここは彼女がその情熱で勝ち取った居場所。「スクールアイドル陪部」というプレートは、その証です。これがあれば、いつでも始められる。どんな部屋でもスクールアイドル部の部室になる。だからこそ、胸に抱き続けるのでしょう。
もちろん、この学校が受け止めていたのは、9人の思いだけではありません。全校生徒、OG、先生方、ここに関わるすべての人々の思いを、浦ノ星女学院は守り、受け止め、広げてきました。「母校」という言葉のとおり、学校は親なのです。帰る場所だったのです。そんな場所の門を自らの手で閉じなければいけない。チャイム音が続くような劇伴が寂寥を誘います。何がどうあれ、親がいなくなるのは辛く、寂しいことです。
「ラブライブ!サンシャイン!!」に度々登場する紙飛行機は、情熱の表現なのだと思っています。諦めない気持ち、本気でぶつかって感じたこと。その飛行機が行く先には、探していた答えがあった。紙飛行機に導かれて千歌がたどり着いたのは、浦ノ星女学院でした。
校舎をめぐりながら、千歌の脳裏にはさまざまな思い出が去来します。梨子に断られ続けたこと、1年生が加入した時のこと、果南たちがぶつかり合っていた時のこと。記憶の数々が、“振り返る主人公”千歌の目に涙を浮かばせます。「どうして思い出しちゃうの」。笑顔で終わらせると決めていた千歌ですが、堪え切ることができません。
でも、それでいいんです。思い出すのは、刻まれているから。浦ノ星女学院がラブライブ優勝校としてずっと残り続けるように、校舎に描いた寄せ書きのように、千歌の心にはみんなとの思い出と練習の日々が刻まれています。それは紛れもなく、情熱をもって本気でやり続けたからなんです。だから、泣くのだって本気。泣いていいんです。
体育館に再度集まったAqoursから「歌おう、一緒に」と手を差し伸べられた時、いつかのステージで千歌が「みんな、一緒に輝こう」と手を伸ばしたことを思い出しました。あの時、千歌以外のメンバーは見守るだけでしたが、今は誰かに手を差し伸べている。全員が、輝きになったからです。
過ごしてきた時間の中で、自分たちが輝いていたか。それは「未来の僕らは知ってるよ」というタイトルのとおり、あとで振り返って初めてわかるもの。そして振り返られるのは、終わりがあるからです。
何度も負け続けたAqoursは、その度に立ち上がってきました。受容と超克のスクールアイドルは、スクールアイドルらしく、学校という場所で歌に乗せてメッセージを届けます。例え終わったとしても、学校がなくなっても、一緒ではなくなっても、いつでもみんなの胸に輝きはある。夢は始まる。そんなメッセージを、Aqoursはその生き様をもって贈り続けていたのです。
終盤、なんだかタイミングが合わずコメントできておりませんでしたが、その内に「最後まで見守ろう。見守ってからにしよう」なんていう気持ちになって、気付くと既に最終回から10日以上も経過しておりました。
“輝き”を追った「ラブライブ!サンシャイン!!」という物語は、ばかいぬさんの仰る「受容と超克のスクールアイドル」であることは、そうであったと実感しますし、生徒会室にあったスローガンである『克己創造』そのものだったということですね。
だからこそ、12話で“勝ちたいか?”と問われて、それぞれが自らの心に沿った答えを出せたのでしょうね。
「ラブライブ!サンシャイン!!」のアニメ本編では、Aqoursの存続に関しては触れることなく、また一緒になれる、空は繋がっている─と、別々の道を進むとしても培った絆と想いは、Aqoursとして彼女たちの胸の中にあって、きっとまた惹かれ合う。
完全新作劇場版の告知が出たことから、意外に早く彼女達は再会し、新たな物語を紡いでくれるのでしょうか。
その時にはAqoursのみならず、Saint Aqours Snowも見られるとより嬉しいですね。
第2期全13話の感想・考察をこれまでありがとうございました。
次は劇場版かもしれませんが、また何かで同じく夢中になれるものが重なりましたら、よろしくお願いいたします。
>拓ちゃんさん
今シーズンもたくさんコメントをお寄せいただき、ありがとうございました!
返信が遅くて申し訳なさを感じつつ、とても励みにしておりました。
Aqoursは七転び八起きの子たちで、負けをどう受け止めるかという
テーマもあったんじゃないかと思うのですが、その中でも
「個」を意識していた部分が感じられました。その最たるシーンが、
12話の「勝ちたい?」のところだったんじゃないかなぁと思いますね。
「個」ゆえに別々の道を歩み、それでもつながっているんだよ、という……。
納得して終わった最終回だけに、劇場版がどこを描くのか、
この続きなのか、どこかの途中を埋めるのか、楽しみですね!
またぜひ、一緒にエンジョイしましょう(*´∀`*)
お久しぶりです!コメント出来てない時期もありましたが、ブログずっと読たせていただいてました!遂に2期も終わってしまいましたねー;ω;淋しいなぁ…w
1~2期を見終えて思ったことですが、ラブライブサンシャインの魅力は、何よりAqoursの物語のリアルさにありましたね。環境から生まれる困難や課題、目の前の現実や自分自身の心から目を背けず、変わらないもの変えられないものさえ受け入れ、その瞬間を自分達らしく輝くこと。何よりも重要な今を懸命に生きる…それって何より大切なことだと思います。千歌ちゃん達の頑張りや実直な姿に、幾度と無く涙しました。結果として当初の一番の目標であった母校の廃校阻止は達成出来なかったものの、彼女達の心中は悔いの無い晴れやかで清々しいものと思います!そんな風に思える程、終盤になるに連れて彼女達は美しく逞しく見えたし、自分もこれから生きていく上での勇気を貰いました^^
やはりばかいぬ様のキャラクターの心中を慮る様な考察を読むと、アニメの魅力が倍増します!1クールとっても楽しませていただき、ありがとうございました♪また遊びに来ます!お疲れ様でした!劇場版も楽しみですね^^
>あすかさん
お久しぶりです! またコメントをしていただき、
そしてブログを読んでくださり、本当にありがとうございました!
おっしゃるとおり、Aqoursの物語はリアルでしたね。
μ’sにあこがれてスクールアイドルを始めた1グループ、というところを
綺麗に描き切ったんじゃないかと感じています。
ブログでも書きましたが、「負け」を描いているのがリアリティの要因だと思います。
僕らも現実で色んな負けを経験しますが、それをどう受け止めるのか、
受け止めた上で次はどうするのか……受容と超克を繰り返すAqoursの姿に、
僕も(記事を書きながら)随分と励まされました。良い物語でしたね〜。
作品の魅力が倍増するとおっしゃっていただけて何よりです!!
がんばって書き続けたかいがありました。笑
劇場版でも何かしら書くつもりなので、またぜひ遊びにいらしてください〜!!
最終話までの感想、お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。
ともすると「画の分析」に偏る傾向のある自分の視聴法に解釈の幅を与えて頂けたこと、感謝いたします。
μ’sの歌は「知っている」「分かってる」が多く、Aqoursの歌は「分からない」ばかりだと言う論説を、どこかで見ました。
確かに、歌詞は勿論の事、ストーリーも「廃校阻止」「ラブライブ優勝」と言う明確な目標があったμ’sに比べて、Aqoursは「輝きを見つけたい」と言う抽象的な目標しか無く、どこに向かえば良いのかさえ分からない状態。
分からないママ駆け抜けた結果、後ろを振り返るとそこに輝きがあった。主題歌にある「We got dream」と言う過去形表現の意味が ようやく “分かる” 仕掛けは、綺麗な幕じまいだったと思います。
さて、「卒」の字には「いきなり」と言う意味があるそうで。「なりわい」が、この日を境にパタッと終わるから「卒業」と言う言葉になるのだとか。
番組を観ている時、物語を進める上で統廃合するのは既定事項とは思っていましたが、モデルとなった現実の長井崎中学も全校生徒74名の小さな学校であり、統廃合と言う言葉が洒落にならない状況の中で描いてしまって良いものなのだろうか?回避させてしまった方が良いのでは?とも考えていました。
でも、ここで浦の星を廃校にして、この学校を長井崎の皆に返さないといけないのだなと。我々が「卒業」しないといけないのだなと、思うに至った次第です。
あ、作品を観るとか、Aqoursを応援するとか、ばかいぬさんに敬意を捧げる事とかは卒業しませんよw
連投失礼
コメント欄に私事で恐縮ですが、先日、旅行に出掛けて来ました。
その際に乗車した新幹線が、郷里の傍らを駆け抜けていきました。
懐かしい風景を目にしたものの、郷里と言いながら土地を離れて幾星霜。
既に親も呼び寄せ、実家の土地も処分してしまっています。
久しぶりにあった同窓会の知らせも、返事を出しそびれて縁が切れてしまっています。
“全部無くなっちゃった”
でも、果南は言いました。
「そんなこと無いよ。ずっと残っていく。これからも」
セリフを思い出していた丁度その時、ミュージックプレーヤーから「夢で夜空を照らしたい」が聞こえてきて、涙が溢れ出るのを止められませんでした。
>消えない 消えない 消えないのは
>今まで自分を 育てた景色
畑氏の詩は、年齢を重ねると堪らなく沁みてきますw
改めて歌詞を読みなおすと、μ’sは “今から未来に向けて” の時間軸が描かれていて、Aqoursはそれよりも過去から時間から始まっているように見えます。
自分がサンシャインの方を、より気にいった理由はその辺りにありそうです。
>椿さん
こちらこそ、いつも返信が遅いにも関わらず(今回もすみません…)
毎回コメントをしてくださり、ありがとうございました!
椿さんのコメントは私も楽しみにしていましたし、本当に励みにもなりました。
グループごとの歌詞の特徴を見るのはおもしろいですね。
μ’sに憧れたゆえ、最初の目標は自然とμ’sになりますが、そうじゃないと気づいてから、
ひたすら「輝き」を探してきた。廃校阻止・学校の名を残すという「目的」はあっても、
「目標」は不確か。でも、それでも走り続けることの大切さを教えてくれた気がします。
敬意とは…! もったいないくらいのお言葉、ありがとうございます!
μ’sのドーム公演はFinalかForeverか? Finalだと思っている僕にとっては、
「卒業」は大事なことです。終わりがあるから過程が輝くし、終わりがあるから
次へ行くことができる。スクールアイドルの美点だと思います。
終わるから、「残る」んですよね。終わらなかったら「ある」だけなんです。
椿さんが故郷で過ごすことはもう終わってしまったと思いますが、
そこにいたこと=過程は変わらない。故郷で過ごした日々は、椿さんの中に「残っている」。
きっと、終わっていなかったら歌で涙することはないでしょう。
でも、終わったからこそその日々が輝き、「夢で夜空を照らしたい」が忘れられない歌になる。
勝手な想像で書いてしまいましたが、とてもステキな体験をなされたのではと思います。
沁みるお話、ありがとうございます!!