前回で一段落としたと思ったら、さらにもう一段落としてきましたね。こういう展開、僕はすごく好きです。
何が好きかって、ちゃんと「人間」やってるなと感じるのです。本気になって、楽しんだり、すれ違ったり、ぶつかったり。実に人間らしい。十代でのすれ違い、ぶつかり合いなんて、まさに青春を描く上で王道ですよね。
巷では、穂乃果のイメージを壊したとか、脚本が最後にぶち壊したとか、シリアス展開はいらないとかいう声も散見されますが、僕にはぶち壊しにもいらない展開にもまったく思えません。チームでがんばっているならば、すれ違いなんて往々にしてあるものです。むしろがんばっているからこそ、あるものでしょう。ようやくここにきて描かれたかというくらい。
それに、これは「僕は」と最初につく意見ですが、僕は彼女らを「キャラクター」として消費しようとは思いません。「人間」として観たい。一面性で終わらないのが人間です。だから、穂乃果がああなってもおかしいとは思わない。人間ですから。
さて、少し前置きが長くなってしまいましたが、「人間」穂乃果がなぜスクールアイドルをやめると言い出すにまで至ったかというところから書いていきます。
穂乃果がスクールアイドルをやめるまで
今回、浮き沈みの激しい穂乃果ですが、最初に沈んだのはラブライブエントリー辞退を知らされたときです。あのタイミングではまだ学校存続が決定していなかったのですが、ラブライブに出れず、学校存続が再び危うくなったから沈んだだけではありません。
努力してきたことが水泡に帰したこと、しかも自分だけでなくメンバー全員のがんばりをムダにしてしまったと思うからこそ、雪穂がご飯に呼びにきたとき、歯を食いしばるほどの悔しさで泣いていたのです。それを思わせるのが、直前のシーンでにこが言った「あと、少しだったのにな」という言葉でしょう。自分でスクールアイドルになるべくアイドル研究部を立ち上げたにこにとって、ラブライブ出場は決して小さくない目標だったはずです。
その後3年生たちのフォローや、学校存続の決定によって立ち直りかけた穂乃果でしたが、このタイミングで「ことりショック」が訪れます。
9話でもお互い確認したように、ずっと一緒だったし、これからもずっと友達であるはずのことりに、なぜそんな大切なことを言ってくれなかったという穂乃果。しかしことりはことりで、ライブに夢中な穂乃果を気遣い、終わったら言おうと思っていました。ですが穂乃果が倒れ、自責の念を感じているであろうところに、そんな話はもっていけなかった。表現は悪いですが、カウンターを食らったような穂乃果は、再び落ち込みます。
ことりの異変に気づけなかったこと。親友の相談に乗れなかったこと。離れる寂しさ以上に、話を聞いてあげられなかったことに、穂乃果はとてつもなく強い後悔を感じていると思います。例えばこう、恋人からの電話を取れなくて、あとで聞いたら「相談事があった」とか言われたら「あーーー何で聞いてあげられなかったんだろ」ってすごく後悔しませんか? あの感覚じゃないかと思うのです。
「やりたいこと」に夢中になりすぎて、すぐ傍にあった大事なことに気づけなかった。ここで穂乃果は、今までずーーーっと前を向いて走ってきた穂乃果は、初めて後ろを向きます。
穂乃果のやりたいことは、スクールアイドルです。以前にも書きましたが、3話で彼女がスクールアイドルをする理由に、学校存続という外的な要因の他に、「やりたいからやる」という内的要因が出てきました。その上で、A-RISEという存在はひとつの指標になっていたはずです。スクールアイドルを始める上でいつも見ていた、「これが本場である」という指標。そしてスクールアイドルを続けていく中で、指標はいつしか目標になっていきました。つまり、穂乃果の中では学校存続したら終わりではなく、スクールアイドルとして結果を出すことが目標になった。その具現化された姿が、穂乃果の目に映るA-RISEなのです。
暗い部屋の中でA-RISEの動画を見る穂乃果は「すごいな……追いつけないよ、こんなの」と独りごちます。これだけ自分を責めずにはいられない出来事が重なれば、自分のやってきたこと(=やりたいことをやること)が過ちだったと思うでしょう。「追いつけないよ、こんなの」とは、自分が思うスクールアイドルの完成された姿、目指すべき姿として、A-RISEを見なくなったということです。目標を失えば、やりたいと思わなくなる。やりたいと思わなくなれば、やりたいことではなくなる。
これがにこに向かって言い放った「出場してどうするの」という言葉につながります。「やりたいこと」をやってこのような事態を招いた以上、穂乃果の中で「やりたいからやる」という内的な動機は消えました。そして残った外的動機も学校存続問題が解決されたことでなくなった以上、スクールアイドルを続ける理由は消えてしまったのです。だから、「私、スクールアイドル、辞めます」という言葉が出てくるのです。
そして、立ち去ろうとする穂乃果に平手打ちを食らわせたのは、海未でした。
平手打ちしたのが海未だった理由
「あんたが本気だと思ったから、本気でアイドルやりたいんだって思ったからμ’sに入ったのよ! ここに懸けようって思ったのよ!」とにこは激昂します。にこは穂乃果を信頼して、μ’sに入りました。これを人生単位でやっていたのが海未です。
他のメンバーに関しては、アイドルをやりたい、音楽をやりたい、踊りたいという動機がそれぞれ描かれてきましたが、海未についてはスクールアイドルをやって自分が何かを成し遂げたいという描写は、今まで一度も出てきていません。
ではなぜ海未はスクールアイドルを続けてきたのか。穂乃果についていこうと決めたからです。
1話で幼少の頃の回想があり、そこでことりは海未に問います。「でも海未ちゃん。後悔したことある?」。
海未にとって、穂乃果はいつも新しい世界、新しい自分を見せてくれる人。ことりの口ぶりから、小さな頃からそうだったろうし、きっとこれからもそう。海未から見た穂乃果は、ついていきたいと心から思う人です。「ねぇ、海未ちゃんは私のことを見て、もっとがんばらなきゃって思ったことある?」「数え切れないほどに」。
言うなれば、それが海未の「やりたいこと」です。9話の「ことりと穂乃果は、私の一番のライバルですから」という言葉が、僕にはとても印象的でした。海未ちゃんにとってこの3人はとても大事で、だからこそ1話で「ねぇ、海未ちゃん。私、やってみようかな。海未ちゃんはどうする?」ということりに続いた。穂乃果の「やりたいこと」に乗った。
やりたいことをやるというのは、やることに責任を持つということです。自分の中でスクールアイドルをやる理由がなくなったからといって、スクールアイドルを辞めるという穂乃果は、残念ながら無責任そのもの。そんな穂乃果を小さい頃からずっと信じ、追い続けてきた海未だからこそ、頬を張れる。彼女にはその権利があります。
ただ、見捨てたわけじゃないと僕は思います。「あなたがそんな人だとは思いませんでした。最低です……あなたは、あなたは最低です!」という言葉には、そんな人ではなかったはずだという気持ちも入っているんじゃないでしょうか。
ダメな穂乃果を見せた意味は
「辞めます」と言う直前、穂乃果は絵里の「これが9人の、最後のライブになるんだから」という言葉を思い起こします。それからの辞める発言。穂乃果は、9人の最後のライブという事実から逃げました。
今までどんな難局も積極的に一歩前へ踏み出すことで乗り越えてきた穂乃果。言い方は悪いですが、女の子らしくないほどの強さをずっと見せてきました。そんな穂乃果が逃げに走った姿を描写する意味。僕は、「やりたいことを失った彼女が、どうやってもう一度それを取り戻すか」を描くためではないかと考えます。
ここで何度か書きましたし、他所でも書かれているように、「ラブライブ!」の根底にあるテーマは「やりたいこと」です。ラブライブ出場や学校存続問題といった外的要因を排除したのは、穂乃果を素っ裸にして内的要因ただひとつとするため。今まで自分の気持ちに正直に、ひたすら前を向いて突っ走ってきた完璧な彼女は、この「ラブライブ!」という青春ストーリーの象徴的存在でした。
その象徴的存在である穂乃果が、失った「やりたいこと」をやる理由を再び取り戻したとき、このTVシリーズはひとつの完成を迎える気がしてなりません。
現実と向き合い、周りと向き合い、自分と向き合い、もう一度穂乃果は立ち上がるのでしょう。楽しいだけじゃないこの青春で試されている穂乃果とμ’s。その苦しさもミライにつなぎ、強い自分にかわったとき、再び好きなことでがんばれるとき、彼女たちは新しいゴールにいる。きっと最終回で、μ’sは僕らに新しい姿を見せてくれるはずです。
今の自分が感じる思いのままを記すため…誤りや失礼な事がありましたら、大変申し訳ありません…。
12話の本編を思い返し、ばかいぬさんの感想を読み返し…。そうしているうちに、ひとつ気になることが出てきました。
ラブライブ出場辞退を聞かされ、立ち直りかけたところに「ことりショック」が起きた…。そばにいた親友の話を聞いてあげられなかったことに穂乃果は後悔し、大きく自責の念を感じ、落ち込む…。
これは…重大なことだと思います。ともすれば、ラブライブ出場辞退の自責の念まで蘇ってきてもおかしくないんじゃないかって思うくらいです。「『やりたいこと』をやってこのような事態を招いた」のですから。
気になったのは、周りのことです。
「ことりショック」が起きて、大きな後悔と自責の念に押し潰されそうな穂乃果の心。「ラブライブ出場辞退」や「ことりショック」が起きてから、「スクールアイドル辞めます」と穂乃果が言いだすそれまでに、彼女の心に寄り添った人はいたのでしょうか。
ライブで穂乃果が倒れて、家に来たメンバーは、彼女の体調を気にかけていた。出場辞退したことを聞かされた穂乃果に対して「悪かったのはあなたもだけど、私たちも悪かった」と言った。あと覚えている中では…、ポスターをボーっと眺める穂乃果に対して絵里さんが「あなたが普通にしていれば、誰も気にしないわ。それとも、私たちに気にしてほしいの?」と言った。ことりショックのときに海未さんは「わかってあげてください」と、ことりを擁護する発言をした。
私が覚えている中では…あの時、「私がこんなことをしなければ」と、一人で責任を背負い込む彼女の心に寄り添ったり、彼女「個人」を見ていた人が思い当たらないのです。それどころか、屋上の穂乃果に対し「一人で背負いこむのは傲慢だ」とも言っていた…。
彼女たちを非難はしていません…。ただ、「これが9人の、最後のライブ」を企画する前に、「それなら先にやることがあるんとちゃう?」と…思ったのです。
一人で責任を背負い込んだ彼女の心は…孤独だったと思います。もし本当に「出場辞退の知らせ」や「ことりショック」が起きてから、スクールアイドルを辞めると穂乃果が言いだすまでに、彼女に寄り添った人がいないのならば…あってほしかった。先輩禁止合宿の時の、真姫ちゃんに対する希さんや絵里さんの時のように…あの時こそ穂乃果の心に優しく寄り添う存在があってほしかった、彼女に対する心のケアがあってほしかった、と思うのです。
こういうのは結果論なのでしょうか。それとも、甘えた考えなのでしょうか…。公に意見を発することが今はほとんどないので…失礼な話をしてるんじゃないかと不安になります。ですが、伝えたかったのです。
一人でできることってかなり限定される。そして、人間ってそうそう強いものでもないと思うから…。
長文失礼しました…。
とてもお優しい着眼点だと思います。
確かに、明らかに慰めている、というような描写はなかったですね。
思うにこれは、全員が言わば「穂乃果マジック」にかかっていたからだと感じます。
11話で文化祭にて講堂が使えず、屋上でやるしかないとなった時に、穂乃果はこう言っています。
「校舎の中や、外を歩いているお客さんにも聞こえるような声で歌おう! そしたら、きっとみんな興味をもって観に来てくれるよ」
これに絵里はこう答えています。
「穂乃果らしいわ」「いつもそうやって、ここまで来たんだもんね。μ’sってグループは」
逆境の中でも、「今の状況ならこうすればいい」と目標までの最短ルートを瞬時に割り出して、自分を疑うことなく突き進む。これが穂乃果に対する、メンバーに共通する認識です。凡人にはなかなかできることではない、「穂乃果マジック」です。
ラブライブ出場辞退の報を受けて号泣する穂乃果の姿を見たのは、妹の雪穂だけでした。そんな姿は、少なくとも1年生や3年生は見たことがなかったでしょう。お見舞いのあと、慰めるメールなどを送った子もいたかもしれません。ただ、今までの穂乃果を見ていて、また「穂乃果マジック」を目の当たりにしていて、ここまでショックを受ける姿を想像できる人はほぼいなかった。穂乃果ならきっとまた前を向いて歩いていく……そんな風に思っていたメンバーが大半だったんじゃないでしょうか。(そもそも、他人を心配しながらも、辞退を決めたことに対してまず自分で自分に折り合いをつける時間も、μ’sの面々には必要だったと思います。)
万が一、穂乃果が引きずったとしても、彼女のそばにはまずことりや海未がいるという考えも、ほんの少しはあったやもしれません。
問題は、当のことりや海未が留学のことを抱え、穂乃果とのトライアングルが機能不全に陥っていたことです。
打ち上げパーティーの場で発覚した、2年生3人のすれ違いには、他の子たちも驚いたと思います。その場で穂乃果に慰めの言葉をかけた人もいたでしょう。しかし穂乃果がそれを素直に「ありがとう」と受け取れる精神状態だったとは考えにくいです。ことりも穂乃果もそっとしておき、まず落ち着かせた方がいい。ひとまず穂乃果を帰し、残ったメンバーがそれぞれでことりの脱退を少しずつ受け入れながら、ことりと穂乃果のすれ違いを解消し、2人がもう一度前を向くためにできることは何か、7人で考えたのだと思います。
それが翌日穂乃果に話した、お見送りライブです。
13話で絵里が「ことりがいなくなってしまうのはショックだった」と話しているように、他のメンバーも衝撃を受けたことは間違いないのですが、それでも自分たちが前を向く姿を見せることで、ことりや穂乃果のことを励まそうとしていたように僕は思います。特ににこは個人的に色々思うところはあったはずですが、それでも自分の中できちんと割り切っていて、すごく大人だなと感じさせてくれます。
確かに、個人的に寄り添ってあげる人はいなかったかもしれません。ただ、μ’sの一人ひとりにもまず自分の中で整理する時間が必要だった中で、もう一度前を向いてライブをやって、穂乃果もことりも気持ちよく送り、送り出されるようにしようと道筋を立てたのは、弱冠十数歳の少女たちにできる、精一杯の優しさだったように思います。
描写がない故に、彼女たちならどうするだろうと想像しながら書いてしまったので、もしかしたらイメージと異なるところがあるやもしれません。ご了承をば!
だからってほのかが嫌われるような演出をする必要はやっぱりなかったんじゃないかな。
現に私そこの話のせいでほのかを批判するくらいまで嫌いになったわけだから
それまではひたむきに頑張るいい子だと思ってたけど、やっぱりスクールアイドル辞めますは大きかったですね。
解釈は人それぞれだと思います。ちゃんと考えて決断したと思う人もたくさんいますし、あなたのような考えの方もいるはずです。
でも、私から言わせてもらえば1人で勝手に決めてみんなまでを不安にして、結果メンバー全員を困らせて自分だけ逃げたほのかははっきり言って無責任だと思います。
μsを作ったのはほのかとはいえ、ほのか1人のユニットじゃないですし、彼女に決定権や絶対的権力はないはずですから。というより、そんなのがあったらそれこそほのかはクソだと思います。
ことりちゃんショックがトドメだったんだと思いますが、それでもやっぱり無責任すぎますね
よって私は、ほのかに同情も感情移入もしません
今も私の中での彼女の印象は無責任なリーダーです
>あいさん
コメントをいただいて、あいさんは穂乃果を嫌いになりたくなかったのかなと、勝手ながら思いました。
僕も穂乃果は無責任だと思います。現に「残念ながら無責任そのもの」と書きました。
そういう穂乃果であってほしくなかったという声も思いも、きっといろんな人が抱えているでしょう。
それならそれで良いと思っています。
僕は出てきた物語をまずすべて受け止めた上で考えを述べることに意味があると思っているので、
こういう内容の文章を書きました。そこを否定しても何も生まれないと考えているからです。
でも、どうしてもそれを肯定できないと思うのも人情です。むしろ自分と相反する文章を読んでも、
自分の心情をちゃんと大事にされているあいさんはステキです。
勝手な言い方ではありますが、ぜひ今後もご自身の心情、それを言葉にできることを、大切にしていただきたいと感じました。
今回の話、僕はことり推しなので衝撃が強すぎてトラウマになりました。未だ怖くて見返すことはできません。
>ゴジラさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
見返すことができないのなら、見返さなくて良いと思います。自分が一番大事です。
ことりが好きなら、他にも彼女の活躍を楽しんだり、愛情を表現する術はいっぱいありますよ。
ばかいぬさん、アドバイスありがとうございます。ミナリンスキーや2期2話のかよちんとのやりとりなど彼女のかわいいシーンを見て今回の話は二度と見返さないようにします。
色々と悪いことが重なったんですよね、この回…。
穂乃果ちゃんにとっては自己嫌悪に追い討ちをかける出来事の連続でしたし、逃げたくなるのも分かります。
とはいえ、無責任であることに変わりはないです。色々難しい問題だなと思いました。
でも、この回で穂乃果ちゃんが少しも折れなかったら自分は視聴をやめてたと思います。いくら物語とはいえ、人らしからぬ心をした主人公は感情移入も応援もしづらいですからね。
個人的には、にこちゃんが本気で食ってかかってたのは良かったかなと思いました。
ああいう熱い子がいなかったら、海未ちゃんにひっぱたかれて意気消沈して終わってたかもしれません。
ラブライブは部活ものアニメだからぶつかり合いがあっていいと思うし、僕もこの回は楽しめました。
>餅堕ちさん
返信が遅くなってすみません! コメントありがとうございます。
そうなんです、自己嫌悪してしまったり、無責任な選択をしてしまったり、
人間なら誰しも抱えてしまう弱さを描いてくれたことは良かったんじゃないかと思っています。
それが結果的に、にこの熱さや海未の思い切りを引き出したのですよね。
餅堕ちさんがおっしゃる「ぶつかり合い」、僕もあっていいと思います!
返信ありです!
この回見て穂乃果ちゃん嫌いになった人も多くて悲しいですが、ばかいぬさんの様に「こういう弱さも抱えた子なんだな」と思われている方もいて良かったです!
ああやって本気でぶつかってくれる仲間を持てて、穂乃果ちゃんは幸せですね。12、13話は本当に「青春が聞こえる」内容だったと思います。
>餅堕ちさん
当時は「こんなの穂乃果じゃない」っていう人も多かったですよね。
でも穂乃果がこういう側面を出している以上、「これも穂乃果なのだ」と
思うものなんじゃないかなと考えます。餅堕ちさんのように、わかってくださる方がいてうれしいです!
ああなった穂乃果を、μ’sの誰一人否定しなかったのがすごいなと感じますね。
「本当の青春」と言える、濃い1年を彼女たちは送っていたんだなぁと思います。