東條希のスクールアイドルダイアリーを読んでいると、この子の周りだけ、時間の流れ方が特殊な気がしてなりません。
中高生特有のエネルギッシュで忙しない感じとは違って、もっとゆったりとしていて……希に怒られてしまいそうですが、まるで隠居した人のような空気感です。
それはもしかすると、多くの転校や別れを経て、いろんなものを受け入れる性質になっていったせいなのかもしれません。
希は身の回りに起こるさまざまな物事を受け入れるタイプです。現実に真っ向勝負を仕掛ける矢澤にことは正反対。度重なる転校も、卒業式の中で抱える孤独も、幼い希にとっては抗いようがないもの。こんな経験を重ねるに連れて、輪の外でみんなを見ているポジションが板についてしまいました。
そこから輪の中に入っていく過程や心情などは何度も書いたので置いておくとして、では輪の外で彼女が見ていたものとはなんだったのでしょう?
ひとつは、言わずもがな「他人」です。これは決して悪いことではなく、彼女が人の“スピリチュアルパワー”に敏感なのは、その人が何をしたらうれしいか、何をした時に笑顔になるか、よく見ているからです。そういう時って、人は何かしらパワーを出していますもんね。
もうひとつは、このスクールアイドルダイアリーにもよく出てくる、龍やらおキツネはんやら、へび神さんやら天狗様やら、そういった存在たちです。
神さまたちは、希にとって希望なんです。寄り添ってくれ、見守ってくれるもの。独りでいても、神さまがいるところにいれば、彼らはいつも一緒にいてくれる。そばにいることを許してくれる。
しかし例えばキリスト教(僕がクリスチャンなので比べてしまいますが)などと決定的に違うのは、神さまが畏怖すべき対象だということ。彼女は幼心にそれをきちんとわかっています。
彼らがいるところは、最後のセーフティネット。そこに行くということは、自分の中の何か――今となっては、本音を言えるようなかけがえのない友達を作ることとわかります――を諦めるということ。でもこのスクールアイドルダイアリーでは、希はこの孤独ながんばりを続けようとするのです。この先にきっと楽しいことが待っているはず、それを楽しみたいと。幼少の頃からさまざまなものを受け入れてきた希が、勇気を出して抗った瞬間です。
結局希は、正反対の存在だったにこと同じく、神さまたちと同じように寄り添ってくれる、頼っていい存在「μ’s」を見つけました。その象徴が、一人大学で研修を受けた希を追いかけてきた「鬼の娘」絢瀬絵里なのですね。
なかなか進路希望調査票が書けない希の姿には、可愛らしさすら覚えます。それはきっと、このμ’sとともに過ごす時間が、終わってほしくないからなのでしょう。