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自己の理解を果たした氷川日菜とその受容性

「バンドリ!ガールズバンドパーティ」のイベントストーリーはただ女の子たちがキャッキャしているのではなく、キャラクターたち一人ひとりをかなり深掘りしています。今回のイベントは、Pastel*Paletteのギターにして何でも簡単にできちゃう天才・氷川日菜のパーソナリティが描かれました。

お渡し会を開くことになったパスパレのメンバーたち。他の4人は個性を出しつつもごく普通の“お渡し会”を行いますが、日菜は違いました。なぜお渡し会に来たのか? なぜ5人いる中で自分のところに来たのか? ファンを質問攻めにします。ファンたちみんなが、自分のことを「不思議な人」と評する。それが、日菜にとっては不思議だったようです。


ファンは、ファン同士、あるいは自分たちと日菜以外の4人に共通するものを感じています。例えば、好きなもの(=パスパレ)だったり、一般的な感覚だったり。日菜に合わせて表現すれば、不思議だと感じるもの、感じないものが一致している。逆に、日菜とはそれが一致しないから、彼女のことを不思議がるわけです。

でも、日菜は自分の不思議とも天才とも思っていない。ゆえに、あれだけの人たちの中で自分と同じような人間がいないことを不思議に思うんですね。そして、「だから面白い」という。

プレイヤーも含めた“フツーの人”が日菜のことを不思議がるポイントはここです。氷川日菜は、自分と他人の差異は見るけど、比べることはしない。

天才ゆえ、何でもできてしまうし、何でもできちゃうからこそ、できない人のことがわからない。誰のことも理解できないし、誰からも理解されない。白鷺千聖が恐れたように、言わば究極のひとりぼっちです。でも、日菜はそれを受け入れて、ただただ「違い」を楽しんでいる。ある意味、一番大人なのではないでしょうか。

日菜は他人だけでなく、自分さえも理解できていませんでした。今回のお渡し会を経て、彼女は自分が唯一無二だと知った。自分と同じ人がいないということから、日菜は自身の唯一性を理解できた。他者から見たら、日菜が唯一無二と言っていいほど独特なのは当たり前のことでしたが、裏を返せば、日菜は初めて自分を客観視することができたのですね。

(日菜が自分の天才性を自覚せずに唯一性を理解するよう物語を描き、なおかつ千聖という一般人からの視点さえも取り入れている、このシナリオライターさんこそ天才なのではと思っています)

彼女が自分の天才性を自覚しないのは、他人と比べることがないからです。もっと言えば、優劣をつけないのですよね。自分が他人より優れていると思っていないし、自分ができることを他人が(丸山彩が)できないからといって、見下すこともない。むしろ、できないことを「違い」と認識して、その人自身に興味を抱く。色々なものを超越した、実にフェアな視点です。

フェアすぎると表現しても良いでしょう。日菜は優劣をつけていないのですが、一般的な感覚では、差異はそのまま優劣につながります。日菜の言動は、誰かの「できない」を浮き彫りにする(しかもできる側から)。だから一度は相手を傷つけるんです。彩にしろ、千聖にしろ、そして双子の姉である氷川紗夜にしろ。

でも、日菜は自分と他人との差異を浮かび上がらせると同時に、その違いに「知りたい」と興味を持ち、「自分と違うからおもしろい」と好意を向ける。最初は軋轢を生むけれど、最後は他者のアイデンティティを確立させた上で受け入れる。だから日菜はすごいんです。


今回は逆に、日菜のアイデンティティが他者の存在によって確立されました。「あたしじゃない人がいるから、あたしの存在が自分のなかでより確かなものになる」。だから、「あたしに似た人がいたら怖くなっちゃうかも」と言うのですね。もっとも、「他者による自身のアイデンティティの確立」さえも自分自身でやってのけるところが、真の意味で一人である日菜らしさでしょうか。

たくさんのファンが集ったお渡し会。普段日菜に触れることがない人たちが彼女のパーソナリティに面食らう中で、千聖たちは日菜のことをごく自然に肯定し続けていました。パスパレメンバーによって、日菜は理解される喜びを知る。彼女にとってPastel*Paletteというバンドは、どんどんかけがえのないものになっていくのでしょう。

次回は「天才の氷川日菜と凡人の氷川紗夜」を書きます。

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