フットボール

横浜F・マリノス外国人選手列伝(2009〜2018)

乗るしかない、このビッグなんだかビッグじゃないんだかよく分からないウェーブに。

僕がマリサポになった2011年からやろうと思ったんですが、調べてみると2011年からでも2009年からでもメンバーが変わらないという事実が発覚したので、2009年からの10年間ということで書いていきます。それより前は他の人が書いてくれるさ!

キム・クナン(2008〜2012)

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193cmの長身DF。大学卒業後にマリノス入りし、2010年、2012年にそれぞれモンテディオ山形、サガン鳥栖にレンタル移籍。鳥栖ではJ1自己最多の31試合に出場した。

2011年にはマリノスでも30試合に出たものの、すべて途中出場。DFなんだけど、まあまあ足速い&デカいために苦しまぎれのパワープレー要員として起用され、2011年のホーム浦和戦では大黒将志、小野裕二、栗原勇蔵とともに4トップを形成した(なお不発)。

その栗原を「お兄ちゃん」と呼んで溺愛しており、鳥栖在籍時には「栗原ゆうぞう 会いたい、、、、いま何してるかな、、、、( T_T) お兄ちゃん」とTwitterで吐露。さらには狩野健太にさんざっぱらリプを無視された挙げ句「ケンタ ひどいですね、、、、、( T_T) なんで!!!むしするの やっぱり女の子かな、、、、うらぎられて かなしい、、、、みなさん、おやすみなさい」と寂しがるなど、乙女な一面も兼ね備えている。

2013年にはアルビレックス新潟に完全移籍したものの、同年に全治8カ月の重症を負い、2014年には韓国に帰国した。

ジョン・ドンホ(2009〜2013)

練習参加から契約に至った、右を主戦場とするSB……なんだけど、マリノスでは2009年に5試合、2013年に1試合出たきり。2011年にガイナーレ鳥取、2012年に当時岡田武史さんが監督を務めた中国の杭州緑城にレンタル移籍している。現在は蔚山現代に所属しており、ACLでその姿を見ることができる。

バスティアニーニ(2010〜2011)

往年のマリノスを支えたディアス、ビスコンティ、サパタ、メディナベージョたちアルゼンチン人の系譜として、大きな期待とともにアルゼンチンの2部リーグからやってきて大型FW。

彫りの深い渋めのルックスで、新体制発表会では「とれるだけ点を取る」と息巻いたが、練習試合でユースにも競り負けるなど、そのポテンシャルを発揮できず。2011年4月には震災の影響で帰国を決め、(帰国理由はともかく)マリノスのダメ助っ人にその名を刻んでしまった。好きなお笑い芸人はオードリーの春日俊彰。

ドゥトラ(2012〜2014)

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戦力外通告から約5年の時を経て帰ってきた“虎神”。2012年1月に行われた松田直樹追悼試合での動きが良かったので獲得した、なんて噂も流れた。38歳での復帰に当時は「本当にいけるの?」「90分動けるの?」という声も多かったが、いざ出場すれば豊富な運動量で左サイドを支えた――どころか、39歳となる翌シーズンもフル出場を繰り返すなど、常人離れした活躍を見せる。その回復力は樋口靖洋監督(当時)も「普通は治療に10日間が必要なところでも、2日間で治ってしまう」と舌を巻いたほど。ちなみにその原動力はピラニアらしい(ソースは東スポ)。

2013年には30代最後の試合となったホーム鳥栖戦で、クラブが来場者に実写「ドゥトラお面」を配布。2−1で勝利し、試合後には本人もお面をつけてスタンドに挨拶した。

筆者にとって思い出深いのは、2013年のアウェイセレッソ大阪戦で見せたミドルシュート。速いんだか遅いんだかわからない、不思議な弾道が脳裏に焼き付いている。

マルキーニョス(2012〜2013)

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言わずとしれたJリーグ外国籍選手最多得点記録保持者。2012年に9年ぶりにマリノスへ復帰した。獲得リリースでのいやいや来たような表情からは想像できないほどの活躍ぶりは、もはや説明不要といったところか。

2013年にはリーグ戦16ゴールを含む26ゴールを挙げ、マリノスの躍進を支えた。今でこそマリノスでは、クロスに対してニアとファーに1人ずつ入る動きが確立されているが、当時はマルキ1人で十分。首の力だけでゴールにねじ込むスーパーなワントップであった。

2013年の清水エスパルス戦でお披露目されたチャントが中毒性高いと話題に。このチャントは後述のマルティノスに受け継がれている。

ちなみに34歳当時、16歳の婚約者がいることが分かり、サポーターを沸かせた。現在はブラジルでフッチボレー(サッカー版ビーチバレー)選手として活躍している。

ファビオ(2013〜2016)

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日本でのキャリアは2012年にSC相模原(当時関東リーグ所属)へのレンタル移籍から。2013年にマリノスへレンタルされたのち、完全移籍した。当時は「関東リーグから一気にJ1!?」と驚かれていたのを覚えている。

移籍当初は中澤佑二と栗原という代表経験者の牙城を崩せずにいたが、ボランチから出場機会を得ると、186cmの長身と長い足でのボール奪取、相手アタッカーに追いつけるスピードを武器に出番を増やした。2015年にはモンバエルツ政権のもと、33試合4得点の成績をマークしている。2016年には天皇杯準々決勝を前に突如帰国したかと思いきや、年明けにガンバ大阪へ移籍した。

ラフィーニャ(2014〜2016)

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ザスパ草津やガンバ大阪などで猛威をふるったポイントゲッターは、2014年のシーズン半ばにマリノスへ加入。3試合連続ゴールを挙げるなどマルキーニョスの穴を埋めたかと思いきや、度重なるケガでいない時期の方が圧倒的に長かった。出れば活躍することが分かっていただけに、2016年にはクラブも背番号9を与えたものの、キャンプの練習試合で靭帯断裂の大ケガを負い、そのまま登録抹消→契約満了で退団。マリノスでは不遇の時期を過ごした。そういえば2014年には天皇杯前の試合でレギュラー組に入って戦術確認まで行ったのに、登録漏れで出られなかったなんてこともありましたね……(直後のギラヴァンツ北九州戦に負けて3回戦敗退)。

アデミウソン(2015)

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一番サッカーがうまいブラジル人(シュート以外)と一部マリサポで話題になった、U-21ブラジル代表歴をもつアタッカー。レンタルとはいえ、まさかそんな経歴をもつ選手が来るとは夢にも思わなかったマリサポたちを大いに沸かせた。

沸かせたのは来日時だけでなく、ピッチでも然り。決して身体は大きくないが、腰の入ったキープや芸術的なボールタッチ、献身的なランニングでサポーターの心を掴んだ。個人技に頼るのではなく、チームと融合しようと取り組むプレーを見せ、33試合8ゴール3アシストの活躍。

2015年2nd最終節の松本山雅FC戦後、去就が極めて微妙だったこともあり、サポーターは選手が引き上げたあともアデミウソンのチャントを送り続けた。歌うこと数十分、アデミウソンが再び姿を現し、涙を流しながら挨拶したというエピソードも。その後、SNSに惜別の言葉を長文で綴るなど、レンタルでわずか1年の在籍ながら、クラブとサポーターを愛し、愛された存在だった。

カイケ(2016〜2019)

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ピッチにはいなくても、マリサポの心の中と本所属クラブ的に居続けた男。2016年に加入するも、やたら遅い時間のTwitter投稿、自身が出場していない試合中のInstagram投稿(銀座をエンジョイ)、試合後の整列拒否、練習への遅刻など、“教師”モンバエルツ監督下でこれ以上ないほどやらかしまくり、しまいには全体練習参加禁止を言い渡された。

1年目からその調子だったが、問題は長期契約だったこと。翌年からブラジルのクラブにレンタルへ出されるも、マリサポの懸命な応援むなしく大した活躍もできずに買い取り手は現れず。SNSなどではマリサポがマッチ売りの少女のようにカイケを売ろうとする姿が頻発したとかしてないとか。2019年にようやく契約解除となり、現在は母国ブラジルでプレーしている。

マルティノス(2016〜2017)

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マンチェスター・シティの情報網をもって獲得した選手第1弾と言っていいだろう、キュラソー島から来た快速サイドアタッカー。カイケと同じタイミングでやってきたが、こちらは“戦術兵器”として大いに機能した。初出場時のアウェイガンバ大阪戦での決勝ゴールが脳裏に焼き付いている人も多いはず。

「まずドリブルありき」の選手で、周囲にフリーの味方がいてもボールを持てば仕掛けていった。ドリブル自体は強力で、マルちゃんがいるだけでボールとラインを一気に押し上げることができたが、ひとたび足をかけられたり身体をねじ込まれたりすれば“コロコロタイム”の始まり。やたらと痛がる姿に当初はサポーターも相手選手へ憤慨していたが、とにかく大げさに転がるために、いつしかまともに捉えられなくなったオオカミ少年的な一面も。ただ、それも含めて愛されていたことは間違いない。2018年に移籍金3億円を残して浦和レッズに移籍。

パク・ジョンス(2016〜2017)

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ベビーフェイスが可愛い、韓国からやってきたCB。そのルックスとは裏腹にプレーは割とチャラく、自陣ペナルティーエリアでも相手選手を目前にして平気で切り返すなど、サポーターをハラハラさせていた。ただそれくらいするだけあって、足元の精度は高く、マリノスにとっては貴重なCBでもあった。2年間で成長を遂げ、2018年に柏レイソルへ移籍したけど、元気でやっていますか……?

ウーゴ・ヴィエイラ(2017〜2018)

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セルビアのレッドスター・ベオグラードで挙げた20ゴールの実績を引っさげてマリノスへやってきた点取り屋。蓋を開けてみれば古き良きボックスストライカーで、組み立て参加や相手を抜くドリブルはさっぱりだったが、ペナルティーエリア内では無類の強さを発揮し、2年連続でリーグ戦2桁得点をマークした。

真骨頂は2017年の天皇杯4回戦、サンフレッチェ広島戦。2点ビハインドの苦しい状況からウーゴの2得点で追いつくと、120分、エンドラインギリギリのところから説明しようのないゴールを決めてチームを勝利に導いた。ゴール後に左腕を指差すのは、病死した前妻に捧げるパフォーマンス。

こんなシーンが幾度もあったことからサポーターの「ウーゴがなんとかしてくれる」という思いは強く、「ウーゴ!ヴィエイーラ!ウーゴヴィエイーラ!!」というチャントの圧はもはや宗教である。ガソリンスタンドで落とした財布が戻ってきたと母国ポルトガルでニュースになった。

ダビド・バブンスキー(2017〜2018)

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バルセロナBでの在籍経験と卓越した技術を持つMF。中村俊輔移籍のショックをもって迎えた2017年の開幕戦、左足で決めた先制のミドルシュートは、多くのマリサポに希望をもたらしたと言っても過言ではない。ちなみにお父さんもガンバ大阪で活躍した選手であり、Jリーグの外国人選手で初の親子ゴール記録でもある。

プレーがファンタジスタすぎて周囲と合わなかったこと、スタミナ面で不安があったことから出番が減り、2018年途中に契約解除、大宮アルディージャへ移籍した。2019年には町田ゼルビアに所属する弟・ドリアンと同時投入されたと話題になった。

スピリチュアルな側面もあり、在籍途中に丸刈りにしたこともあって、中身も外見もお坊さんのよう。オフには富士登山をするなど、積極的に日本へ溶け込もうとしていた。

ミロシュ・デゲネク(2017〜2018)

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バブンスキーと同じタイミングでマリノスにやってきたオーストラリア代表CB。渋めな顔立ちもあって割と年がいっているようにも見えるけど、94年生まれ。一回り以上も年上である中澤の隣で研鑽を積み、1年半にわたってマリノスの最終ラインを支えた。

2017年のアウェイ鹿島アントラーズ戦ではロングスローに挑戦するも、全然飛ばずに敢えなく撃沈。また勝利後にサポーターと一緒にバンザイする場面では途中で止めたりするなど、意識するしないに関わらずお茶目な一面を見せた。

ユン・イルロク(2018〜)

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齋藤学とマルティノスが移籍した両翼を埋める形でやってきた、韓国代表のサイドアタッカー。「スピードを活かした縦への突破が持ち味」と聞いていたが、言葉通りのプレーはあまり見ることができず、加入1年目はノーゴール。あと1枚の皮が剥けない中で、2019年は済州ユナイテッドにレンタルされている。動き出しやポジショニングなどオフ・ザ・ボールがうまく、スタジアムで見ると評価できるタイプ。

オリヴィエ・ブマル(2018)

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2018年に行われたアンジェ・ポステコグルー監督のトークイベントで、監督と強化部長の可愛らしい茶番とともに獲得が発表されたカメルーン代表アタッカー。

周囲とのコンビネーションを重視する、ある意味ウィンガーらしくないウィンガー。ボールを保持するポステコサッカーへの適応が期待されたが、リーグでは15試合2得点とあまり芳しくなかった。ちょいちょいゴリゴリした突破も見せていたので、ちょっともったいなかった気がする。2019年からはギリシャでプレー。

ドゥシャン・ツェティノヴィッチ(2018〜)

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ハイパー読みにくい名字とここ10年で最高と言っていい強面をもつ屈強なCB。相性はドゥレ。少年時代はあんなに可愛かったのに何がどうなったのか、30年足らずですっかりマフィア感満載になっている。

しかし、その中身は仲間思いの熱血漢。円陣で味方に檄を飛ばしたり、三好康児が相手選手に軽く首を閉められたりした際にとんでもない剣幕で相手選手に迫ったりと、熱く戦う姿をピッチで見せてくれている。ボールを出す先に困ったときとテンションが上がっちゃったときに前線へ果敢にドリブルするマリノスCBの隠れた伝統も継承。

チアゴ・マルチンス(2018〜)

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手薄なCB陣を補強するため、ドゥレから1カ月遅れでやってきた横浜のフレディ・マーキュリー。10代のうちにパルメイラスでデビューすると、ブラジル全国選手権やリベルタドーレスカップにも出場するなど、24歳ながら場数を多く踏んでいる。

185cmと長身だが、最大の特長はその快足。裏を狙われがちな戦術を取るマリノスで、“裏の番人”として抜け出したFWを検挙している。それもそのはず、両親が体育の先生で、お父さんはサッカーとバレーボール、お母さんはバレーボールと水泳の選手でもあったというサラブレッド。今年末までのローン移籍の契約だけど、頼むから残ってください。

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