
リトルバスターズが帰ってきたぞぉーっ!
1期の終わりにRefrainが発表され、夏コミで公開されたPVを観て、ずっと待っていました。Refrainをやらなければ、「リトルバスターズ!」は終わらないのです。
恭介のモノローグから始まり、ピアノリフから始まるBGM、そしてOPの新曲とアニメーション。一連の流れで、この雰囲気が出せるのはやっぱり「リトルバスターズ!」しかないと思いながら観ていました。綺麗でさわやかで、どこか切ない。
また、感想を書く日々が始まります。
美しさの理由
ホットケーキパーティー、すごく微笑ましかったですね。リトルバスターズというチームはこういうチームなんだよって見せてくれた気がしますが、心なしか前よりもっともっと笑顔が増えたような印象を受けました。凛や謙吾がやわらかくなったからですかね。
それにしても、観ているこっちまで自然と笑顔になってしまうよう。この仲の良さがリトルバスターズです。全員が信頼しあっている故の楽しさ、純粋な笑顔。
ただ、この綺麗な風景が描かれて終わり、ではありません。1期で少しずつ顔を出し、この「Refrain」ではっきりと描かれようとしている、物語の「終わり」。この有限であることを、観ている僕らは注視しないといけません。有限であるからこそ、こんなにも美しいのだと思います。
問題はどういった形で「終わり」がもたらされるのか。理樹が忘れていることとは、一体なんでしょう……?
来ヶ谷唯湖という人
ストーリーは、だんだん来ヶ谷唯湖にフォーカスされていきます。どうやら姉御ルートから入るようですね。
来ヶ谷唯湖。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群。何でもできる人であり、敵う者はいません。当の本人はそれを鼻にかけることはなく、泰然自若。自分から他人に積極的に関与せず、周りに人が集まるようなタイプでもありません。
つまり、一目置かれていると同時に、距離も置かれている。そんな子です。
それ故の寂しさも、多少は感じているのかなと最初は思っていました。しかし、姉御はそこまで自分を大事にしていないと思い直しました。自分を大事にしていないというか、自分はどうなってもいいと考えている風に見えます。
もっと言うと、自分のことは自分でどうにかできてしまうし、どうすればいいのかも全部わかっている。普段の生活で迷うことはほとんどないのではないでしょうか。考えなきゃいけないのは自分のことだけだったから、迷う必要はなかったのです。
ところが、リトルバスターズに入って、彼女の価値観は一変しました。
来ヶ谷唯湖にとってのリトルバスターズ
姉御は、一目置かれていると同時に距離も置かれていると書きました。自ら近づいてくる「友達」は、今までいなかったのかもしれません。
ところが、リトルバスターズは違いました。理樹は姉御を敬遠することなく、むしろ積極的に仲間に入れてくれた。入ったら入ったで、小毬が「唯ちゃん」なんて、どんな人との間にも多少はあるはずの壁を全部ないことにするかのように接してくる。いえ、小毬だけでなく、みんなが過剰な畏敬の念や警戒心を抱くことなく、そばに来てくれる。
ひとりでいることに寂しさを感じなくとも、みんながいることの温かさを、姉御は感じていたのではないでしょうか。
姉御にとってリトルバスターズは、自分が仲間でいたいと思った初めての友達だったのだと思います。それだけ大切な人を傷つけられたからこその、あれだけの激昂。今まではそれに値する人がいなかったから「何に対しても、私は心を揺らすことなどなかった」わけです。しかし、いざリトルバスターズが虐げられれば、姉御は「怒るんだな、私も」。
そして姉御がそこまで思うのは、有限を知っているからかもしれません。最後のモノローグで言っていた「忘れたくないんだ。ずっと、ここにいたかった」という言葉。つまり、姉御はここから離れてしまうことを意味します。
終わりを知っている姉御。何かを忘れている理樹。次回サブタイトルの「そのとき」とは……? 2話も目が離せません。
余談ですが……。
現場から走って逃げる、姉御と理樹の手の握り方がすごくいい!
咄嗟だったからちゃんと握れていなくて、少し離して、またしっかりつないで。一瞬の逢瀬にいるような、そんな二人でした。