ラブライブ!2期10話「μ’s」感想 μ’sの“隙”

ラブライブ!2期10話「μ’s」感想 μ’sの“隙”

 実にシンプルなサブタイトルですね、「μ’s」。自ずと、「μ’s、μ’sとは何か?」という疑問が頭に浮かぶタイトルです。

 改めて言われると、答えづらい。観ているこちらだけならまだしも、当の本人たちでさえ、μ’sを表すキャッチフレーズに悩んでいました。そこに現れたのは綺羅ツバサ。彼女は僕らの気持ちを代弁するかのように、穂乃果に問いかけます。「ちょっとだけ引っかかってるの。なんで負けたんだろうって」「私たちよりファンの心を掴んでいたし、パフォーマンスもすばらしいライブだった」「でもなぜそれができたの?」

 努力をし、練習を重ね、チームワークを磨いてきたのはA-RISEも一緒。その上で、なぜA-RISEを超えられたのか。端的に言えば、μ’sはどうやって勝ったのか。そこに、μ’sのμ’sたる所以があったのです。

 

μ’sの隙

 少しシーンを飛ばしましょう。今回の肝は穂乃果がライブの日のお礼にと、学院生たちにおもちを振る舞うところです。ここから読み取れるのは、μ’sの大きな魅力のひとつは “双方向性” である、ということです。

 直前の場面で、雪穂はμ’sの印象をこう表現していました。

「心配。あとは危なっかしい。頼りない。ハラハラする」
「ただ、応援しなきゃって気持ちには、不思議となるんだよね」

 学院生や家族といった周りの人々ににとって、μ’sというスクールアイドルは身近な存在であり、かつ関与することができる存在です。悪く言えば「隙がある」と言えます。でも、それが短所にならない。μ’sがもつこの隙は、学院生や応援している人たちにとって、自分たちも間接的にμ’sを作り上げていく上でのポイントとなります(少し物語から離れたことを言うと、リアルμ’sのキャスティングに実力者が少なかったのも、このためだと思います)。

 一方で、A-RISEは完ぺきでした。完ぺきすぎました。僕の空想ではありますが、A-RISEの3人で生徒会をやっていたとしたら、彼女たちはそつなくこなし、誰の助けも必要としないことでしょう。見る者の入り込む隙がないのです。これまでの描写を見る限り、A-RISEはスーパーアイドルではあっても、スクールアイドルではなかった。だからA-RISEは必ずモニタの中で歌います。モニタというのは、見る者がただ受容するだけの装置。完ぺきな存在のただひとつ完ぺきでない点は、一方通行なところです。

 「馬鹿な子ほど可愛い」ではありませんが、完ぺきでないものにはつい手を差し伸べたくなるものです。お母さんが新しい手袋を用意してくれて、友達が仕事を手伝ってくれる。μ’sができないこと、手の足りないところを周りの人が埋めていく。それによって、周りの人もまたμ’sに “参加” することができる。こうしてお互いの距離が近くなることで、周りの人はμ’sへの愛着が湧く。μ’sはその思いをダイレクトに受け取り、力に変える。そして今回のように、きちんと周りの人に返す。返された人は、またμ’sへの思いを強くする。だからμ’sは必ず観客の前で歌い、一緒になる。この双方向性とシナジーによって、μ’sは大きな力を発揮することができます。

 彼女たちの持つその「隙」が、みんなの「好き」になるのです。

 

勝敗は結果

 この隙こそが、穂乃果の言う「みんな一緒だからだよ」「みんながいて、私たちがいて、だからだと思う」ということなんです。μ’sは紛れもなくこの9人ですが、μ’sをμ’sとして存在させ続けていたのは、この9人だけではない。恐らく、一番表現したかったのはここじゃないかと思うのです。

 物語の外側の話になってしまいますが、9話をスノハレで締めて、ひと段落した印象を与える次回予告を見る限りでは、A-RISEのパフォーマンスは映らなさそうであると予測されました。μ’sとA-RISEが胸と胸を突き合わせて競うところも楽しみではありましたが、表現されなかった。表現されなかったということは、本質は違うところにあるということではないでしょうか。

 描きたかった本質。それは、μ’sというチームはメンバーを含めた「みんな」の思いが注がれる器であるということ。その思いによってμ’sは成り立つこと。満たされたμ’sは、またその思いをみんなに届ける存在であること。ラブライブという場所で勝つか負けるかは、それに付随する結果に過ぎません。だからA-RISEのパフォーマンスまでは描かれなかった。もしA-RISEのパフォーマンスをすべて描き、勝負の場面を追求していくなら、A-RISEのパーソナリティや背景も描かれるべきだと思います。しかし、この作品においてそのプライオリティは低かったということでしょう。逆に言えば、A-RISEはここまで “他を寄せ付けないパフォーマンスをほこる大ボス” の役割を演じ続けてきたと言えます。

 ではμ’sがラブライブ優勝を目指していることは本質ではないのでしょうか?

 

スクールアイドルの本質

 本質ではない、と僕は思います。第2回ラブライブにおいての活動目的は、みんなと最高の思い出と結果を残す。しかもできるだけ長く、高らかな。そのために目指していることがラブライブ優勝です。つまり勝つことは手段であって、目的ではないのです。

 1期3話の “所信表明” で、穂乃果はこう言っていました。

「一生懸命がんばって、私たちがとにかくがんばって届けたい。今、私たちがここにいる、この思いを」

 「この思い」が届いたからこそ、学校のみんながμ’sの道を切り開き、μ’sはその思いを受け取って前に進む。

「一生懸命がんばって、みんながそれを応援してくれて、一緒に成長していける」
「みんなが同じ気持ちでがんばって、前に進んで、少しずつ夢を叶えていく」

 これこそが学校の代表、みんなの代表である「スクールアイドル」の本質です。みんながμ’sと一緒になれる。ステージに立つ人だけではないのです。ともに夢を見て、ともに成長していく。この共有体験こそが、μ’sを勝たせた力。

 そう、これは「みんなで叶える物語」――。

 

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