「怒ってください」No Border

無理です!

 

様々な書き手がテーマを出しあい、それについてひとつのBlogで 文章を綴っていくというめちゃんこ面白い企画「No Border」。
残念ながらその12人の中に入れなかったので、トラックバックで参加しちゃいます。
第一回のお題は「怒ってください」。


JKとおじいちゃん、それぞれ別のタイミングで「菩薩のよう」と言われたこともありました。
我ながら雰囲気はやわらかいと思います。確かに、滅多にブチギレたりもしません。
もちろん、不機嫌になったり、怒りたくなる時はありますヨ。 でもそれを表に出そうとはしないのです。
今日はそのルーツをたどってみました。

 

    【両親は「キレる40歳」だった】
子どもの頃の鮮明な記憶のひとつは、夫婦ゲンカです。 物心ついた時から、父はよく母に怒鳴っていました。
僕はそれが怖くて、リビングのテーブルの下でうずくまっていました。

思春期になると、僕と母とのケンカが増えていきます。
最初は言い返したりもしていましたが、ヒステリックな女性に何を言っても相手は聞く耳を持ちません。
あるいは、とてもリアリスティックな反論で押し潰されます。

間近にいる両親がそんな人だったもので、 怒っている人の醜さを、子ども心に客観視できていました。
それだけでなく、怒られる側の「どうしたらいいかわからない」気持ち、
また逆に、優しくされた時の嬉しさなんかも、そこで学んでいたと思います。

いつ頃からだったか、「ああはなるまい」と決めていたんですね。

 

【優しさと冷たさは表裏一体】
先ほど「ヒステリックな女性に何を言っても聞く耳を持たない」と書きました。
中学、高校での母とのケンカがそんなだったので、いつしか反論することをやめ、 ただ聞いているだけになりました。

それは終わるまで耐えるというものではなく、 「この人はそういう人である」という認識です。自分とは違うと。
諦めだったのかもしれないし、受容を覚えた瞬間だったのかもしれません。

これは僕の中で大きなウェイトを占める、大切な考え方になりました。

この人はこの人、と思うことで、誰でも受容できます。
受容さえできれば、優しさを振りまくことは簡単です。

一方で、このように受容する人は(というか僕は)、 同じ感覚で関係をぶった切ることもできます。
下手に引っ張らない。 だから、誰にでも優しい人は誰にでも冷たいのだと思うのです。
自分の懐に入っていい人は、本当に数人しかいないのかもしれません。

何かで読んだ記憶があるのですが、 イチローが記者の低レベルな質問にウンザリしていた時、
「所詮他人だから」って思ったら楽になったという逸話があります。
真偽は定かでないのですが、その考え方がものすごくしっくりきたんです。

 

 

【人それぞれの「怒る」カタチ】
逆にいうと、「関係をぶった切る」ことが僕にとって「怒る」ことかも。
怒鳴りちらすことだけが「怒る」わけではないのですね。

何だか親への恨みを裏に隠したような文章に見受けられますが、 全然そんなことはないです!
環境からこの処世術を選んだのは僕だし、 それで助かったことや、同じような人と分かりあえたこともあります。
人に対してそう思うなら自分にも、と 自分自身を確立させようとするきっかけにもなったんじゃないかなぁ。

どうしても他人の目が気になる! 人の行動にイラついてしまう!
という方、ぜひ一度「所詮他人だから」と思ってみてください。
もしかしたら、楽になれるかもしれませんヨ。

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