リトルバスターズ!第22話「わたし、必ず戻ってきます」感想 またはクドがめざしたもの、めざすべきもの

litbus22

 

 リトバスは仲間とワイワイやっていたり、不思議な現象がお話に出てきたり、ストーリーが割と幅広いアニメですが、急に泣かせにくるからズルい!

 

 お別れって古今東西・硬軟聖俗の物語で描かれていますが、常に「仲間」をテーマにしてきたリトバスでこれをされると、またグッとくるものがあります。美魚の時は理樹と美魚のサシだったので、今回はまた毛色が違いますね。

 

 同じくここで感想を書いている「ラブライブ!」では「やりたいこと」という根底のテーマがありますが、この22話ではそれに近いものが描かれていました。

 

 

クドがめざしたもの

 ロケットの打ち上げ失敗に母が巻き込まれたクドは、国に帰ろうとしません。「日本へ、逃げてきたのですから」というクドは、自分が何から逃げてきたのかを語ります。

 

 コスモナーフト、つまりお母さんと同じ宇宙飛行士になるとクドに告げられた母は、たいそう喜びます。「こんなにうれしい日はないわ」と娘を抱きしめるほど。母のうれしさ、母の期待は、子どもにとってとても大事なもの、大きなものです。

 

 航空学校に入学したクドは、英雄とまで言われる母の「娘」という目で見られます。それは期待であり、比較であり、決めつけです。「娘ならこれくらいできるだろう」というプレッシャーです。

 

 しかし、語学力のないクドは、授業についていけませんでした。そして、日本に逃げてきた。

 

 クドは自分で自分を見ることができなかったのです。「『宇宙飛行士をめざす』という宇宙飛行士の娘」になろうとしたし、「国の英雄の娘」になろうとした。他人の、母の期待に沿う自分、人から見た能美クドリャフカになろうとしてしまったのです。

 

 結果、周囲の期待に応えられませんでした。他人の評価にアイデンティティをゆだねてしまったクドは、他人の期待に応えられない自分を自ら「中途半端」と言うまでになってしまったのです。

 

 

クドがめざすべきもの

 「中途半端」というのは自虐的ではありますが、的を射ています。他人の評価に身をゆだねてしまうと、何者にもなれないのです。それは他人がなってほしいもの、やってほしいことであって、自分のなりたいもの、やりたいことではない。それでは、何者にもなれません。

 

 理樹は、ストレートに言葉にします。

 

 

「お母さんみたいにならなくていいんだ。ぎこちなくても、不器用でも、クドは自分のできることを探せばいい。クドはクドらしい歯車になって、宇宙の夢を追い続ければいいんだよ」

 

 

 期待されているからといって、お母さんと同じ宇宙飛行士に必ずならなければいけないわけではないのです。宇宙飛行士になれないからって、大好きな宇宙をすべて捨ててしまわなくてもいいのです。宇宙に触れる中で、クドにできることがある。それを探せばいい。「夢を追う、諦めるな」と簡単に言えてしまいますが、この言葉はその本質を表しているように思います。

 

 宇宙飛行士になれないからって、大好きな宇宙をすべて捨ててしまわなくてもいい。同時に、お母さんの期待に応えられなかったからって、お母さんに会っちゃいけないわけじゃない。お母さんに会いたい気持ち、お母さんが好きだという気持ちも、偽りないもの。感情を大事にすることが、自分自身を大事にすることです。そして自分自身を大事にすることは、何かになろうとすることにつながるのです。

 

 理樹やリトルバスターズの力を借りて、クドは本当のクドになろうとしています。

 

 

いよいよ出てきた謎

 さて、この22話にきてようやく真の物語の片鱗を見せつつある「リトルバスターズ!」。今回、少しずつ謎が出てきました。

 

 電話に出なかった葉留佳と美魚は、クドの見送りにも来なかったこと。そして誰も不思議がっていないこと。
 「すべて、思い出したのか」という恭介の言葉。「何を選んだって結局後悔は残る。正解なんてどこにもないんだから」という理樹の言葉。

 

 ここらへんがアヤシイところです。残り数話でどこまで扱うのか、真相は明らかになるのか。間に合わない気もしてきましたが、そしたらもう(2期やるしか)ないじゃん……一番好きな朱鷺戸沙耶も1話以来まったく出てこないし!

 

 ストーリーの中も外も、非常に気になるところです。一体どんなラストを迎えるのか……ちょっと気が早いですが、ドキドキです!

 

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