「楽園追放 -Expelled from Paradise」を観に行ってきました

「楽園追放 -Expelled from Paradise」を観に行ってきました

 という観了直後の感想のとおり、本当に色々な切り口のある映画でした。SFから語ってもいいし、メカ的な面でも人間的な部分からも語ることができるでしょう。ただあらゆる面に共通するのが「アンジェラ・バルザックちゃんのケツは最高だ」という紛れもない事実で、感想を語る人の切り口がそれぞれ違っても、みんなそこに収束していくんですよね。それでオシリの話が何度も繰り返されると。仕方ないですね、紛れもない事実ですからね。

 さて、僕も感想を書くとして、おもしろかったのはディーヴァとリアルワールドという世界と、それぞれに生きる人間の対比でした。観た方向けに書き、ネタバレも含みますので、ご注意くださいね。

 

 この物語の主人公は、楽園と言われる電脳世界・ディーヴァから来たアンジェラ・バルザックと、リアルワールド、いわゆる現実世界に生きるディンゴの2人。物語の序盤は、タッグを組むはずの2人の噛み合わなさがものすごく気になったのですが、さもありなん、住む世界が違うから当たり前ですよね。

 アンジェラの住む電脳世界は、人間がデータと化した世界。ここでの人間は肉体を超越し、より高義な“満たされ方”をしている世界です。しかし、人々に割り当てられるメモリは有限。であるゆえに、よりデキる、より生きている価値のあると判断される人間に、より多くのメモリが与えられます。人より多くメモリを持つことができれば、もっともっと高い精神性を得ることができるという世界です。だからアンジェラは仕事熱心。実際、デキる女性ではあるのですが、それ以上に結果を出すことに躍起になっていました。

 でもそれは、誰かの手の内に広がる、極度の結果主義の世界。確かアンジェラは「ディーヴァは自由な世界」と言っていましたが、まったくそんなことはなかったのです。結局、「結果を出した人間にはより多くの報酬が与えられ、そうでない人間には何も与えられない」というシステムに縛られていました。

 

 一方ディンゴは、データになることなく、ナノハザードによって退廃した地上に生きるエージェント。リゾートもなければ、満足な食料もない。生きるには大変に苦労する世界です。

 でも彼は、そんなリアルワールドを楽しんでいる感すらある。はちあう事象ひとつひとつを受け入れ、味わったりおもしろがったりしているわけです。

 単純に対比すると、成果主義の中で無駄を一切省こうとするアンジェラと、その無駄さえも楽しんでしまうディンゴという組み合わせだったのですね。そりゃあ噛み合わないはずです。

 

 しかしアンジェラは、風邪を引いて以降、その考えをだんだん変えていったように見えました。弱った身体に沁みるおかゆの味と、近くにいて看病してくれる人のぬくもり。病気になった時はプログラムが適切な薬を処方するような世界で暮らし、他の捜査官を出し抜いて手柄を立てることを何よりも大事にしていたアンジェラには、初めて味わう感覚だったかもしれません。

 以来、アンジェラはこの、ロック・ミュージックと同じようにディーヴァでは「不要」と切り捨てられたものを取り戻していきます。不要と切り捨てたということはつまり、「失った」ものでもあるわけです。それがリアルワールドには残っていた。

 

 この、楽園であるはずのディーヴァにはなくて、廃墟となったリアルワールドにあるものが、「仁義」なんです(手刀を切りながら)。

 

 この「仁義」を、リアルワールドに生きるディンゴは持っていました。そして、フロンティア・セッターも。

 ここがまたこの物語のミソなんです。人工知能であるはずのフロンティア・セッターが、よもやの人間臭さを持っている。音楽をたしなみ、「おもしろい」という感覚を有し、ディンゴとセッションをして楽しんでいる。「人工知能なのに」、彼は“人と人”が分かり合うということを知っているんです。

 じゃあアンジェラは人間臭くなかったのかというと、そうじゃない。ひと通りの愉楽は経験してきたというアンジェラも、「手柄を立てるのに必死」という欲深さを持っています。この欲深さこそ、立派な人間味なんです。しかしこれは悪いことじゃありません。むしろ、こんな人間臭さがあるからこそ、ディンゴと分かり合い、フロンティア・セッターのことを理解することができた。終盤になるにつれて、アンジェラはどんどん表情豊かになっていきましたよね。彼女は、リアルワールドで生きるための「人間らしさ」を失わずにいたのです。

 

 ここで提示されているのは、人の生き方なんだと思います。ディーヴァのような究極的な成果主義も、リアルワールドのような仁義のある関係も、この作品を観ている僕らの世界には両方ある。これらの中からどれを選ぶのか。もっと言えば、他にも数多ある生き方を含めて、どういう割合でブレンドしながら生きていくのか。何者であり、どこへ行くのか。それを問いかけられているように感じた映画でした。

 最後、アンジェラがフロンティア・セッターについていかなかったのが印象的でした。戦いの最中、はるか上空まで上昇したアンジェラは、荒れ果てたはずの大地に緑を見ます。ここにはあらゆる“人間臭さ”が詰まっている。ディンゴやフロンティア・セッターを通じてこの人間臭さに触れ、そこに意義を見出したからこそ、この「私の知らないもの」を確かめるべく、彼女は地上に残ったのではないでしょうか。

 データとなった人間が、再び生身の身体と感情を取り戻した。ディンゴとともに車内で大笑いするアンジェラは、それまでよりとてもかわいらしく見えました。

 

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